今年91歳を迎えた作家の曽野綾子氏。長い間これまで第一線で活躍し、『誰のために愛するか』『老いの才覚』など、多くのベストセラーを出版している。そんな曽根さんは、22歳のときに三浦朱門さんと結婚。二人の結婚生活は2017年に三浦さんが亡くなるまで60年以上も続いた。彼女が明かす、結婚生活を面白く続けていくコツとは? そして、三浦さんとの結婚を決めた驚きの理由を聞いた。

※本記事は、曽野綾子:著『人生を整える 距離感の作法』(マガジンハウス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

私は「夫」という立場の人を二人知ってる

私は「夫」という立場の人間を二人、よく知っている。私の父と、私の夫だ。私の父(母の夫)は非常に狭量な人だった。だから、父と母は些細なことでよく揉めていた。

対して、私の夫である三浦朱門という人は、女房である私が何を言っても文句を言わない、ずるくて賢い人だった。いつでも、「ああ、いいよ」と言う。だから悶着は起きなかった。

つまり私は、まるで異なる夫のタイプを知っているのだ。

▲私は「夫」という立場の人を二人知ってる イメージ:8x10 / PIXTA

人間というものを、陶器のように固定したものだと考えている人がいる。そういう人は、相手が思いどおりに行動しないと機嫌が悪くなる。

一日の予定も、気分次第で変わることもあるし、不可抗力で変更せざるを得ないこともある。たとえば、午後3時のバスに乗る予定だとしても、バスの故障で出発できないかもしれない。

「世の中は思いどおりにはいかないもの」ということが、わからない人が一番困る。

私の父は、告げた時間どおりに帰らなければ必ず怒った。ひたすら萎縮するばかりの母に、私は「嘘をつけばいいじゃない。バスが故障したとか、定時どおりに来なかったとか、ごまかせばいいのに」と助言していた。

ただ、嘘も方便であるとはいえ、話が通るような嘘をつけなければいけない。そういったことを常に考えざるを得ない日々だったから、私の創作力は増したのであろう。

父は堅物だったが、営業の仕事の経験もあり、大阪の道修町あたりで通飲して体を悪くしたと聞いたこともあるから、夜の世界をまったく知らなかったわけではないと思う。それでも、絶対に女性問題は起こさないだろうと、ひと目でわかるような人だった。

私はそんな父と暮らしながら、人とのつき合いは「硬いこと」と「いい加減なこと」の両方ができなければ駄目だとずっと思っていた。幼いときから、それがわかっていた。その程度に、私は子どもの頃から大人だった。

本当に譲れないもの以外は適当に流す

私は、本当に譲れないものは何かを考え、そこから優先順位をつけていくようにしていた。だから、優先順位が低いものに対しては夫に文句を言ったことはない。

たとえば、夫にアイスクリームを買ってきて欲しいと頼んだとする。私はピスタチオ入りのアイスが好みだが、違ったものを夫が買ってきたとしても喜んで食べた。

わざわざ夫が買ってきてくれたのである。買ってきてもらえた幸せに比べれば、ピスタチオの優先順位はかなり低い。そこで、文句を言うのは余計なことなのだ。

私の父には、人は必ずこういうふうにやってくれるという期待があった。期待するのはいいのだが、父はそのとおりにならないと激しく怒った。

私の夫には、それがなかった。前提として、「自分が期待することなど、相手がやってくれるはずがない」と考えていたようだ。私は三浦朱門という人を面白いと思った。私は夫との生活を通して、「結婚は面白がればいい」ということを知った。

また私は、夫がイヤだと思っていることはできるだけしないように心がけていた。

私の夫は、私が何をしてもたいていのことは平気だったが、占いをすることとマージャンなどの賭けごとをすることだけは好かないようだったので、私はそれらをしたことがない。

本当に譲れないもの以外は適当に流したほうがいい。そのほうが、夫婦生活を面白おかしく過ごすことができ、楽しいのである。

女性の社会進出がすすんだ現代では、生活のために結婚する必要はない、と考える人も多い。では、それだけではない結婚の意味とは何だろうか。

▲60年間結婚生活を続けられた夫婦円満のコツ イメージ:Ushico / PIXTA