NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公となり注目されている、武将・明智光秀。みなさんは、明智光秀と聞いて、いったいどんな印象を持っていますか? あの“本能寺の変”で主君である織田信長を殺した、謀反人? 裏切り者? ……いずれにせよ、どちらかといえば「悪人」、いわゆる「ヒール」のイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。
ところが、「歴史」は勝者がつくるもの。つまり、明智光秀のように反逆や謀反を起こした「悪人」、あるいは、ひどい政治で人々をおびやかした「悪人」とされる人物も、じつは「悪人」では“なかった”可能性が、大いにあるのです。いえ、「偉人」とされる人の中にこそ、恐ろしい悪事を働いていた人物がいるということを、いったいどれだけの人が知っていることでしょう! 教科書にはのっていない“歴史の真実”を、こっそり覗いてみませんか?
※本記事は、WANI BOOKOUT <https://www.wanibookout.com/>[特集]話題本ピックアップ (2020年2月2日)「日本の歴史人物 悪人事典」を加筆編集したものです。
明智光秀 ナゾ多き武将の真の姿はいかに?
明智光秀の若い頃については、じつはよくわかっていません。鉄砲の腕が優れていたことで越前の大名・足利義景の家臣となり、そこで室町幕府の13代将軍足利義輝の弟・義昭と出会ったといいます。
室町幕府を再興したいと願う義昭のために尾張の織田信長にはたらきかけた光秀は、その後、義昭と信長の両方に家臣として仕えることになりますが、結果的に信長を選び、織田家では猛スピードの出世を遂げます。わずか数年で近江国坂本城主となり、さらには丹波一国をあたえられ、織田家一の重臣に成り上がったのです!
ところが、1582年に、あの有名な“本能寺の変”で、本能寺を大軍で襲撃し、主君である信長を殺してしまいます……。その理由はいまだナゾに包まれたままですが、信長の横暴なやり方にキレた、もともと天下を狙っていたなど、さまざまです。
そんな光秀ですが、キリスト教の宣教師ルイス・フロイスは「忍耐強くて、戦いの作戦が見事。城づくりに長けていた」と、その戦いのセンスをほめています。
また、戦国武将は側室(複数の妻)を持つのが当たり前だったにもかかわらず、光秀は若い頃から苦楽をともにした正室・煕子以外の女性をそばに置くことがなかったとか。ナゾ多き“ヒール”は、実は、かなり一途な“愛妻家”だったのですね!