菅原道真 学問の神様は、実は「日本三大怨霊」だった?

受験シーズン真っ只中……。“学問の神様”として有名な菅原道真をまつる太宰府天満宮には、毎年この時期になると、多くの受験生とその家族が、合格祈願のお参りのために、押し寄せます。そんな道真が、悪人どころか、なんと悪霊や怨霊として人々から恐れられていたことを、皆さんはご存知ですか?

若くして難関試験をパスし、文章博士(学者のトップ)となり、宇多天皇から信頼され、出世街道を突っ走った道真。ところが、それをおもしろく思わないのが、ライバルだった藤原時平です。「娘婿を天皇にしようと企んでいる」と、まったくのウソを醍醐天皇に吹き込み、それを信じた醍醐天皇は、道真を九州の太宰府に左遷。残念なことに、道真はこれを深く怨みながら、2年後に亡くなってしまいます。

ところが、道真の死の後、怪異が起こるようになりました。ライバルだった時平は39歳の若さで急死、その協力者や醍醐天皇の皇太子やその息子などが、次々に亡くなります。また、御所にはかみなりが落ち、多くの貴族が死傷したとか!

「道真のたたりだ!」。人々は道真が雷神になったと信じ、その魂を鎮めるために、京都に北野天満宮をつくりました。そのため、“学問の神様”菅原の道真は、崇徳天皇、平将門とならび、「日本三大怨霊」の一人に数えられています。“学問の神様”として知られる道真ですが、なんと、荒ぶる悲劇の魂だったというわけですね……。

日本の歴史人物 悪人事典/河合敦

徳川綱吉 動物好きに悪い人はいない…ってウソ!?

歴代の徳川将軍のなかでも綱吉といえば、あの「生類憐み令」を出した、ほっこり動物好きのいい人……というイメージがある人も多いはず。ところが、この「生類憐み令」は20年にわたって出され、「魚や鳥を生きたまま食用として売ってはダメ」「犬をいじめた者をチクったらほうびをやる」など、どんどん過激になっていきました。しかも、違反するとすぐに処罰され、なかには死刑になった人も!

さらに、各地に犬を保護する屋敷を作り、犬を収容しはじめた綱吉。約30万坪(東京ディズニーランドとディズニーシーを合わせたほどの広さ!)の敷地のなかには10〜20万頭の犬が飼育され、なんと、そのエサ代は今の金額で70億円ほどにのぼったといいます。これらの維持費用を、人々に負担させた綱吉。庶民はとても迷惑し、綱吉を「犬公方(今風に言えば“犬バカ殿様”)」と呼んで、憎みました。行き過ぎた動物好きは、単なる迷惑でしかなかったのです……。

ただ、平気で人や動物を傷つける、戦国時代の野蛮な風習が強く残っていた綱吉の時代、彼は人々に秩序を守り、法律に従うこと、優しさやあわれみの心を持つことの大切さを教えるために、儒教や仏教の教えを広めようとしたという一面も。たしかに「生類憐み令」には極端な面があったものの、綱吉は世の中を良くしようと努力した将軍でもあったのです。人というものは、あらゆる角度から見なければ、本当の姿が浮かび上がらないものですね。

日本の歴史人物 悪人事典/河合敦

“歴史の真実”は、みなさんの心に、どう響いたでしょうか。そう、ある面から見れば「偉人」であっても、別の面から見れば憎むべき「悪人」であり……。歴史上の人物たちも、いろいろな立場や角度によって評価が変わってくるもの。
きっと、本書『日本の歴史人物 悪人事典』を読むことで、歴史上の「悪人」に対する見方、考え方が大きく変わることでしょう。さあ、これまでの“思い込み”を捨てて、正しい“真実”を知り、隣の人を「え〜!」と驚かせてみませんか?