初めてのトミー・ジョン手術

数日経っても、痛みはまったく引かなかった。

断裂しているかどうかはすぐにはわからない。異常が生じた直後というのは炎症が強いので、MRI撮影をしてもほぼ真っ白に写ってしまって、腱や靱帯がどのようになっているのかがまったくわからない。

したがって、2~3週間ほどノースローで炎症が引くのを待って、そこで初めてMRI検査を含めた精密検査を行うのだ。

その結果、僕の右ひじ靱帯は、まったく使い物にならない状態となっていることがわかった。人によっては「ブチン」と完全に切れてしまうタイプの人がいる。そして、もう一方のタイプは伸びきった輪ゴムのようになってしまう人もいる。

僕の場合は後者だった。靱帯が完全に断裂したわけではないけれど、完全に伸びきった状態で、ところどころ断裂していて使い物にならなくなっていた。

方法は一つだけだった。

トミー・ジョン手術。

70年代にアメリカのフランク・ジョーブ博士が考案したという、ひじや腱の損傷、断裂に対する移植手術のことで、メジャーリーガーのトミー・ジョンが初めてこの手術を受けたことから名づけられたものだった。

アメリカではすでに何百、いや何千回も執刀されているメジャーな術式で、日本球界でも80年代にロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)で活躍した村田兆治さんや、ヤクルトの荒木大輔さんらが、そして90年代では桑田真澄さん(元巨人など)を筆頭に多くの選手が、この手術によって復活を果たしている。

僕が故障した時点でも、チームメイトの藤井秀悟さんが手術を受けたばかりで、手術をすることに不安や恐怖心は一切なかった。

大学時代には「手術、リハビリ」経験者が周りにいなかったので、自分なりに情報を集めて「手術をするべきか、否か?」と真剣に考えた。

しかし、このときは藤井さんをはじめ、ヤクルト内にも河端龍さんらトミー・ジョン手術経験者はいたし、専門のトレーナーさんもいたし、リハビリのノウハウも構築されていた。そこで、なんの迷いもなく手術を受けることを決めた。

大学時代は、春と秋の年2回にピークを持ってくればよかった。当時もひじに水が溜まって炎症を起こすことはあった。それでも、無理をして投げればリーグ戦を乗り切ることはできたし、また数カ月休めば投げられないことはなかった。

しかし、プロの世界は春先から秋まで続く長丁場だ。だましだましで通用するほど甘い世界ではない。ならば早めに手術したほうがいい。そう判断したのだ。

 タテの場合は、目の前のことではなく、常にその先を見据えて決断できます。だから、決断も速いしスムーズです。僕だったら「どうにか手術を回避できないか?」と考えると思います。でも、タテの場合は「意味のある手術」であること、「今後の自分のためになる手術」であることを理解したうえで、すぐに決断できたのだと思います。[石川雅規/談]

2004年3月17日、24歳の誕生日は病室で迎えた。

チームはすでにオープン戦を戦い、目前に控えている開幕戦に向けて、最後の調整をしているところだったが、僕は初めて右ひじにメスを入れることになったのだ。

手術は群馬県館林市の慶友整形外科病院で行った。ここはヤクルトのチームドクターであり、何度もトミー・ジョン手術を行っている病院だった。

腱の移植は右手から行った。損傷した腱や靱帯を除去したうえで、他の部位から正常な腱を摘出し、移植することで回復を図る手術だが、僕の場合は右手の真ん中にある長掌筋を移植することにした。

利き手である右手と比べると、左手の場合は少し細いために、右からの移植を選択した。また、3本の腱があるなかで一番筋肉のついていない真ん中の腱、つまり長掌筋が最適であると判断したからだった。

人によっては、あるいは症例によっては脚から、足首から、または腰から移植するケースもある。僕の場合は計3回もトミー・ジョン手術を行ったために、そのたびに違う場所から移植することになるのだった。

手術時間は、およそ3時間くらいだっただろうか? 全身麻酔で意識のないなかで行われ、目が覚めたときにはすべてが終了していた。

▲初めてのトミー・ジョン手術 イメージ:mits / PIXTA

そこから1週間ぐらい入院をした。当初は信じられないぐらい右腕全体が痛かった。ひじの骨にドリルで穴を開け、強制的に骨折した状態をつくり出す。そこに移植する腱を配して、トンカチでガンガンやりながら元の状態に戻すのである。

痛くないわけがないではないか(笑)。

それでも、手術に関しては100%の信頼を持っていた。もちろん、これまでのケースにおいて復帰率は100%ではなく、に復帰できない事例もあることは聞いていた。しかし、それはアマチュアの場合も含めた話で、「プロの環境下でリハビリを行えば間違いなく復帰できるはずだ」という確信が僕にはあった。

もちろん、その後には長く険しいリハビリが待っていることも理解していた。

まずは体調を万全の状態に戻すこと。

すべてはそこから始まると考えていた。2004年3月、初めてのトミー・ジョン手術は無事に成功に終わったのだった。