2004年、2013年、2014年と3度にわたってひじにメスを入れリハビリに苦しむ一方、不死鳥のように必ずケガから復帰した館山昌平。

2015年6月28日、館山昌平は814日ぶりに彼の目標であった一軍への復帰を果たした。「リハビリ完了」という思いが芽生えた瞬間であったという。

その日、チームメイトたちが、「館山さんの復帰試合だから、絶対に勝ちたかった」と口をそろえた。絶頂と絶望を味わった名投手は何を糧として17年間、ヤクルト一筋で生き抜けたのか。館山自身の回想と、チームメイトの石川雅規、学生時代から館山をよく知る村田修一の証言も交えて語られる、1人のプロ野球選手の生き様。

※本記事は、館山昌平​:著、長谷川 晶一:著『自分を諦めない - 191針の勲章』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

いよいよ一軍マウンドに・・・

その瞬間、泣きそうになっていた。

2015年6月28日、僕にとっては814日ぶりの一軍マウンドだった。2013年4月5日、トニ・ブランコに投じたあの一球以来の神宮の晴れ舞台だ。

二軍での復帰登板は済んでいた。しかし、一軍の舞台は二軍とは緊張度も、興奮度もまったく異なる別ものだった。

対読売ジャイアンツ戦。巨人の先頭打者は長野久義だった。初球のストレート。バックスクリーンには「146キロ」と表示された。その長野を3球で見逃し三振に打ち取った。その瞬間、神宮球場には信じられないほどの大歓声が沸き起こった。

このとき、僕の中に「リハビリ完了」という思いが芽生えた。止まっていた時計がようやく動き始めたのだ。

▲いよいよ一軍マウントに イメージ:s_fukumura / PIXTA

150キロを超えるスピードボールを投げることや、全盛時のような曲がりの大きい変化球を投げることが、僕の目標ではなかった。

目標はあくまでも、一軍でしっかりと打者を抑えることだった。マウンドで打者を支配しながら、きちんとアウトを取ることだった。

そのアウトが取れた。ようやく、長かったリハビリに終止符が打たれた瞬間だった。

審判のコールが鳴り響いた瞬間の球場の歓声は本当にすごかった。

この日、僕が球場入りしたときから、一塁側、ライト側のヤクルトファンを中心に「おかえり!」という声援が何度も耳に届き、「頑張れ、館山!」「昌平復活」「ファンは待っていました」などと書かれた応援ボードをたくさん目にしていた。ファンの方々の熱い気持ちが本当に嬉しかった。

頭では緊張していないつもりだったが、実際のところはかなりの興奮状態にあったのだろう。球場入りして歓声を受けた瞬間、全身の筋肉が収縮するのがわかった。その際に右手の血行障害を発症してしまった。

「これはまずいぞ……」

僕はすぐにユニフォームの後ろポケットに手を突っ込んだ。これ以上、右手を冷やしたくなかったからだ。幸いにして、すぐに血流は戻ったけれど、やはり緊張していたのだと、今ならわかる。

初回から、毎回得点圏にランナーを背負う苦しい展開だった。それでも、得点は与えなかった。しかし、結果よりも何よりも一軍マウンドで投げられる喜びが大きかった。

3対0で迎えた5回裏、高橋由伸さんに同点3ランホームランを喫した。続く、堂上剛裕にツーベースヒットを打たれたところで降板を告げられた。

その後、ジャイアンツにリードを許したものの、5回裏には山田哲人がレフトに14号ツーランホームランを放った。

神宮球場のマウンドに帰ってきた

 

「館山さんの負けを消すことができてよかった」

山田の言葉が嬉しかった。真中満監督も、高津臣吾ピッチングコーチも、試合前に「今日はタテの日だから、とことん行けよ」と僕を送り出してくれた。

チーム全体が、僕の復帰登板を後押ししてくれていたのだ。

この日、勝利投手の権利は手にすることはできなかったけれど、ひとまず神宮球場のマウンドに帰ってくることはできた。「復活」ではないが、無事に「復帰」はできた。球場全体を包み込むような大歓声が本当に嬉しかった。

僕の降板後も、チームは勝利に向けて執念あふれる試合を見せてくれた。

僕の後を託された投手陣も、秋吉亮、ローガン・オンドルセク、オーランド・ロマン、そしてクローザーのトニー・バーネットと、当時の「勝利の方程式」を惜しみなく投入し、チーム一丸となって6対4で勝利した。

チームメイトたちが、みな一様に「館山さんの復帰試合だから、絶対に勝ちたかった」と口にしていたことを知っていた。その思いが痛いほど伝わっていたので、僕は試合中から涙が止まらなかった。

テレビ中継で、その場面が放送されていることはわかっていたけれど、あふれ出る熱い思いはどうにも止まらなかった。

リハビリ中は一軍マウンドに戻ることを当面の目標にしていた。だからこそ、この復帰登板には期する思いが爆発し、とめどなく涙がこぼれ落ちた。

どうにか復帰することはできた。もう、涙はいらない。次の目標は「チームの勝利に貢献すること」へと、すぐに切り替わった。

この日の試合も忘れられないですね。

あの日は、高橋由伸さんにホームランを打たれて勝ち投手にはなれなかったけど、やっぱり、タテは神宮球場のマウンドが似合いますよね。デーゲームだったこともあって、投げ方は違うのに、ふと大学時代のタテのことを思い出しました。

東都大学リーグで投げていた日本大学時代のタテの姿です。

そして、この日のタテの復活がチームに勢いをもたらしました。それがこの年のその後にも繋がっていくことになりましたからね。

石川雅規/談