一番イヤなことは自分で。だからトイレ掃除は僕の仕事
アルバイトが食事している頃、僕はトイレ掃除を始める。たしか、店がだんだん忙しくなってきた時期に「トイレ掃除は僕が自分でやる」って決めたんだ。だから、もう何十年もずっと続けている。
トイレがきれいだと気持ちいいじゃない。トイレがきれいだったら、お客さんも気持ちがいいし、売り上げも上昇する。いいことだらけだよ。
換気扇だって毎日掃除しているね。うちの店の設備は古いかもしれないけど、どれも清潔だと思う。
アルバイトには、掃除の仕方を手取り足取り教えることはしない。でも、みんなあっという間に掃除を覚えて、隅々まできれいにしてくれる。
彼らにはこう言ってるんだ。「掃除は自分の部屋を掃除するようにやるんだよ」って。 「手を抜いたら、明日、1組客が来ないよ」って言うこともある。もうひとつ手を抜いたら、さらに1組来ない。明後日には2組来ない。そう考えたら、拭きたくないところも拭かざるをえないでしょ。貧しい頃、僕は店が暇だった頃の怖さを知っているから、言葉には重みがあるんじゃないかな。
僕はさ、人が嫌がることを上の人間が率先してやらないと、下はついて来ないと思うんだ。掃除もそうだけど、サボりたいって気持ちは誰にだってある。ないなんていったら嘘さ。でも、僕はサボらない。負けたくない。自分の怠け心に負けたくないって思うんだ。
手を抜いたことだって、そりゃ過去にはあるよ。だから、手を抜いちゃだめだって、声を大にして言うんだ。説得力があるだろ。
お金を稼ぐことに近道はない
年齢とともに仕事に慣れて余裕ができて、いろんなものを同時に処理できるようになったんだろうか。五感を働かせると、いろんな情報が入ってくるんだ。それを一度に処理できるようになった。それも仕事に余裕ができたからかもしれない。
50歳までは猪突猛進で、「僕について来い」って感じだった。下手をすりゃ、「ついて来れないやつはいらない」とさえ思っていた。でも、50歳を過ぎてから、仕事に余裕ができたのか、視界が広がった。「周囲に気を使うようになりましたね」って、社員にも言われた。
昔はさ、自分に余裕がなかったのかもしれない。僕が引っ張らなくっちゃという気
負いもあったんだろう。でも、いまは「お前らも、一緒に行くぞ」って気持ちに変わってきた。
年を重ねたことで、物の道理の大事さもわかってきた。道理が通らないことはダメ。道理ってのは、人として行うべき正しい道のこと。「道に外れた行為」なんてもってのほか。商売人は正直な商売をしなくちゃダメ。道理を忘れちゃダメなんだ。
大事なのは真面目に一生懸命働くこと。仕事は外からは見えない努力の積み重ねなんだ。「たまにはいいか」って思うだろ。僕は「それをやったら店が暇になるよ」って、自分に言い聞かせる。目の前にあるこの仕事をサボると、いつか店が暇になる。そう思ったら恐ろしくてやらざるをえないよ。
甘えは、いつか必ず自分に帰ってくるし、お金を稼ぐことに、近道なんてないんだよ。