幼少期、実家が火事になるなどの困難を乗り越え、大学の寮のテレビで見たK-1に衝撃を受け、格闘家を目指した武田幸三。ムエタイ史上4人目となる外国人王者にもなり、K-1でも魔娑斗、ブアカーオと名だたる選手と戦ってきた彼は、現役時代の長い期間を片目だけで戦っていたという。

片目で戦ったからこそ得た気づき、そして怪我や痛みより恐ろしいモノを知ったと語る本人曰く「最低の試合」の話、長渕剛からかけられた言葉や、俳優として活動する現在の話、そして土壇場を多く経験したからこそ言える“回避するな、立ち向かえ”という武田の生き方など、多方面にまたがって話を聞いた。

▲俺のクランチ 第18回(後編)-武田幸三-

左目が見えないからカウンターがうまくなった

武田といえば、著書のタイトルにもなっている『片目のチャンピオン』からもわかる通り、現役の長い期間、左目が見えない状態で試合を行っていたことでも知られている。彼のファイトを見たことがある人なら、相手の攻撃をかわし、攻撃を与える、これらを片目が見えない状態でやっていたとは信じられないと思うだろう。それぐらい、彼のファイトスタイルは鮮やかで、「当て感(的確なタイミングかつ的確な位置で相手に攻撃を当てられる勘)」は見事であった。まだ明かしていないときは、相手に片目が見えていないことを悟られないように苦心していたのだろうか。

「いえ、試合中もすごい冷静なんですよ。別に右目だけでいいや、と思ってやってるから。距離をはかる練習も片目でしてたし、まあなんとかなるだろう、と思って試合してました。視力は戻らないかもしれないけど、それでも勝つためにはどうすればいいかを考えていました」

上斜筋麻痺という病気のせいで、武田の左目は見えない状態であった。発症したのが1998年。そこから長いあいだ、彼は右眼だけで戦い抜いた。日常生活ですら不便がつきまとうのに、そのうえでスポーツ、それも格闘技をやるということが困難であるのは、想像に難くないだろう。

「片目が見えない状態で勝つにはどうすればいいか。できるだけ少ない手数で仕留めるしかない、だから僕はカウンターの練習をしたんです。その甲斐あって、カウンターが得意になったんですよ(笑)」

いちばん怖いのは観客の信用を失うこと

川尻達也、魔裟斗、ブアカーオ・ポー.プラムック、小比類巻貴之、アンディ・サワーなど、国内外の有名選手と試合をしてきた武田。「難しいとは思いますが……」という前置きをしてから、「いちばん印象に残ってる試合はなんですか?」と聞くと、即答でこう答えた。

「パヤックレック・ユッタキット。この選手との試合が僕の人生を決めましたね。パヤックレックは、僕がデビューして3年目に試合した相手なんですけど。正直、その試合まで、僕はめちゃくちゃ調子乗ってたんです(笑)」

武田はデビューしてわずか7戦目で、新日本キックボクシング協会ウェルター級チャンピオンを獲得した。調子に乗るのも無理はないだろう。しかし……。

「リングで対峙したパヤクレックが、とにかく大きく見えるんです。相手はムエタイのラジャダムナン・スタジアムで活躍する実力者。オーラがすごくて、キックがこれまでの選手と比べ物にならないくらい痛い。僕、逃げ回っちゃったんです。怖くて」

もちろん、試合は負けた。ただ、逃げ回ったがゆえの大差の判定負けだった。

「この試合で何がいちばん勉強になったかって、怖いのは怪我とか対戦相手から受けるダメージじゃなくて、信用を失うことだってわかったんです。なんでわかったかって、こんな無様な試合をしてから、試合の手売りチケットが全く売れなくなったから」

キックボクシングの選手は、自分で手売りのチケットをさばく。1枚売ると、チケット料金から決められた分が、自分の手取りとなるシステムなのだ。デビューから早くも日本チャンピオンになった武田の試合は、多くの人々の興味を引いた。知名度はもちろん、彼のファイトスタイルにも魅せられた人が多かった。そんなファンが、武田が逃げ回ったこの試合で一気にいなくなった。次の試合から、手売りチケットの売上は10分の1になったという。

「1枚の紙切れにすぎないチケットが、お金に変わるんです。キックボクサーとしての僕の存在意義のひとつがそれだった。その試合のあと、お客さんの信頼を取り戻すにはすごく時間がかかったんです。そこからですね、負けてもいいから信用を失わないような試合をしようと思ったのは」

「当然のことかもしれないですが……」と前置きして武田はこう続けた。

「あるとき、ジムで先輩を相手に弱音を吐いたら、先輩から“お前、これで食ってるんだろ?”って言われたのは、ずっと自分の中の指針ですね。手売りのチケットを渡した瞬間、その人との約束の手形なんです。しょっぱい試合は見せられないなと思いました」

▲いちばん印象に残っている逃げ回った試合を振り返る