映画『リコリス・ピザ』と青野氏の人生

――作品の後半には映画『リコリス・ピザ』が出てきて、ちょうど評判になっていろいろ論じられていたタイミングだったので、非常にタイムリーでした。

青野 7月1日公開の映画が7月23日発売の書籍に収録されていることから、ギリギリまで作業していたのが伝わるかと思いますが……(笑)。

――(笑)。

青野 公開前に試写で見て、その後パンフレットの原稿を頼まれたので、もう一回見ました。あの映画は1970年代のアメリカが舞台となっていますが、現在でも続いているジェンダーの問題が描かれています。そして、この映画の素晴らしいところは、そういう問題が映画としての面白さにくるまれている点です。

――先程の表現する側と受け手の問題にも通じますね。この映画についての言及が最後にあることで、締まったような印象を受けました。

青野 ありがとうございます。ただ、僕自身はアメリカに行ったことがないんですが……(笑)。

――え!? 意外です(笑)

青野 ヨーロッパ方面にはよく行っていたんですが……(笑)。話を戻すと、この映画の好きなところは、先程も話題に出しましたが、映画のなかにオイルショックが出てくるんですよね、あと、東西の関係性であったりとか、今この時代を振り返ると、ここからアメリカという国にどんどん暗雲が立ち込めてくる、その直前の薄曇りのムード、夕暮れ感がうまく映画の色に表現されているような気がして好きですね。だからこそ、主演の二人の瑞々しさが際立つという。

――今回は、編集者の萩原さんからお話をいただいた、というきっかけだったと思うのですが、青野さんが自分から今後書いてみたいテーマはありますか?

青野 そうですね……僕、正直小さい頃から“OOになりたい”とか考えずに生きてきて、親がファッションに近いところにいたから、ファッションに興味を持って、音楽も好きだったからドラムをやって、高校は付属だったので、そのまま明治学院大学に入って。大学のときに親から「バイトくらいしなさい」って言われて、たしかにと思ってたときに原宿に行ったら、BEAMSの店舗に“アルバイト募集”の張り紙がしてあって、応募して。ちゃんとしたバイトはそこが初めてでした。

――え、そういう経緯だったんですね。

青野 マガジンハウスに出入りして、お小遣い程度のものをもらう、ということはしていたんですけど、そもそも高校時代はバイトが禁止だったんで。で、卒業するにあたって、僕は大学院に行きたかったんですけど、BEAMSで社員になれば?って誘われて、そのままずっとって感じです。DJも1987年ごろに誘われて、今までずっとやっている感じですね。

――ちょっとすごい話すぎてクラクラします……(笑)。

青野 本当に流れに身を任せた結果が今、って感じなんです。だから、やりたいことって言われると、なかなかポンと出てこないんですけど、ただ今回、本としてまとめるにあたって、装丁を手がけたコラージュアーティストのM!DOR!さんとお仕事したり、過去に書いた文章を改稿したり、それぞれの素材を紡ぎ合わせて1冊の本に仕上げる、そこには萩原さんがこの本を会社から出すのに企画を通すという作業もあって、二人で対策を話し合ったりとか、そのひとつひとつが楽しかったですね。

――装丁、インパクトがあって素晴らしいですよね。この書籍を1枚の絵で表現しているような、強いメッセージ性を感じます。

青野 ずっとお仕事がしたかったので。依頼した経緯、なんとなくの本の内容は話したんですが、そこまでしっかりとした打ち合わせはせずに最初にこれをあげてきてくれて、一発OKでした。ほとんど最近面白かった映画の話しか記憶がなくて、さすがですよね。

――これが最初に出てくるっていうのが、阿吽の呼吸感があっていいですね。

青野 はい。そういうところも含めて、本を作る、という作業はとても面白かったので、これまでさまざまな媒体で書いてきた文章を1冊にまとめてみたいな、とは思っています。


プロフィール
 
青野 賢一(あおの・けんいち)
1968年東京生まれ。株式会社ビームスにてPR、クリエイティブ・ディレクター、〈BEAMS RECORDS〉のディレクターなどを務め、2021年に退社、独立する。音楽、ファッション、映画、文学、美術といった文化芸術全般を活動のフィールドに文筆家/DJ/クリエイティブ・ディレクターとして活躍している。著書に2014年の『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)がある。Twitter:@kenichi_aono