収録前なのに止まらない涙
夜も遅かったので母親と妹は家に帰して、俺一人、夜が明けるまで病院の霊安室で父親と酒を飲んだ。父親の好きだったウイスキー、ダルマと呼ばれたボトルを父親の横に置き、一緒に酒を飲んだ。
朝までずっと父親に向かって語りかけた。
「小1のとき、イジメから助けてくれてありがとう。カッコよかったよ。勉強はできなかったけど、そのぶん芸能界で成功して見返してやろうと思ってたんだ。でも、親父が生きているあいだに結果を残せなかったな。そういえば、俺が芸人やってることはどう思ってたの?」
小学校1年のとき、真っ暗だった俺の人生を照らしてくれたヒーローは、何も話してくれない。だが、俺は何度も何度も語りかけた。
1週間後、葬式。たくさんの親戚、芸人仲間や地元の友人が来てくれた。結婚式と違って自分が招待状を送って呼ぶものではないので、時間を作って来てくれた友人たちの姿を見ると「あの人もわざわざ来てくれたんだ」と少し心が救われる気がした。
告別式の喪主の挨拶も俺がやると決めた。泣かずにやろうと思ったが、いろんな想いが込み上げてしまい無理だった。
酒を飲んで、仕事が嫌だ嫌だと居間で愚痴っていた父親。ようやく仕事を退職して、老後は母親とゆっくり温泉でも連れていってあげたいと思ってたらこのざまだ。親孝行したい頃に親はなし、とはよく言ったもんだ。64歳という若さだったが、酒もタバコも無茶苦茶やっていたので無理もないのか。
納骨も済ませると、いつもの日常が戻ってきた。俺にとびきりの不幸が起きたって、世間はいつも通り回っていたんだよな。
当時、俺は福島県でラジオのレギュラーを持っていた。福島に着いて、本番までをのんびり過ごしていると、母親から電話が鳴った。
どうやら、母親は父親が糖尿病でお世話になっていた先生に、本人が心筋梗塞で亡くなったことを伝えに行ったらしい。
「お父さんね、いつも検査してもらうたび、うちの息子がこの日にテレビに出るから見てやってくれって、うれしそうに病院のカレンダーに印をつけてたんだって」
母親は泣いていた。俺もラジオの本番前なのに号泣していた。ゴールデンタイムの番組に出ても「見たぞ」くらいしか感想を言ってこないぶっきらぼうな父親が、そんなふうに俺を自慢に思ってくれていた。
なんだよ、涙と鼻水が止まらないよ。これじゃラジオになんねーじゃねーか。でも、ありがとう親父。もう少し諦めずに、この世界で頑張ってみるわ。
福島から帰る新幹線。車窓から見える街の一つずつの明かりが、なんだか俺の胸を締め付けた。新幹線は最高速度で東京へ向けて走っていた。
(構成:キンマサタカ)