今なお語り継がれる三冠を巡る激闘、そして日本をマットを震撼させた最強コンビ「龍艦砲」と言えば、もうおわかりだろう。日米を代表するレジェンド、天龍源一郎とスタン・ハンセンがついに再会。満員の観衆の前で激闘(⁉)を繰り広げた。

▲会場は超満員の観客で埋め尽くされた

数々の困難を乗り越えて「龍艦砲」の再会がついに実現!

9月25日12時30分、東京・芳林堂書店高田馬場店8Fイベントスペースで「天龍源一郎&スタン・ハンセン トークショー&サイン会&撮影会」が開催され、往年の最強コンビ「龍艦砲」が一日復活を遂げた。

当初は5月に開催予定だったが、ハンセンが新型コロナウイルスに感染したため来日が取りやめに。4ヵ月遅れで改めてイベントが企画されるも、9月2日に天龍が頚髄損傷により入院、手術を受けることが発表された。

それでも、天龍自身がハンセンとの再会を心待ちとしたため、主治医の許可を得たうえで入院先からリモート参加する形で開催。チケットは当日前に完売し、天龍の姿が大型スクリーンに映し出されたあとに不沈艦が登壇した。

2年ぶりの来日となったハンセンは、17日から連日イベントへ出演。藤波辰爾、小橋建太、川田利明、田上明らと旧交を温めて、ついにこの日を迎えた。テンガロンハットを被った不沈艦の変わらぬ姿をモニター越しで目にした天龍は、開口一番「スタンの顔を見て元気が出ましたよ」とニッコリ。さすがは“ミスター・プロレス”。手術直後とは思えぬほど、声がしっかりしている。

この日のトークは、天龍がアメリカ修行時代のジョージアで、同じアパートに住んでいた頃の若き日の思い出話から始まった。『AERA.dot』連載「70歳からのはっけよい!」では、天龍がハンセンにカレーを振る舞った思い出を明かしている。それを聞いたハンセンは、次のように答えた。

「アトランタのファルコンズネストというアパートで出会ったのが初めてだったと記憶しています。ほかにもプロレスラーがそこを利用していましたが、確かにカレーを食べさせてもらった。それで私がテンリューの部屋にいって、お返しにホットドッグばかり作るものだから『いい加減にやめてくれ!』と言われたんだ」

すると、来る日も来る日もフランクフルトを持ってきては「パンにはさんで食べろ」と言われ参ったという天龍は「味? 日本の総菜のほうがうまいよ!」とキッパリ。これには天下の不沈艦も苦笑いを浮かべつつ「相撲出身のテンリューはいろいろ作れるだろうが、私はホットドッグしか作れない。(ハンセンが作ったホットドッグと聞いたら、日本のファンは飛びつくと司会者に振られ)そんないいもんじゃないよ。お湯の中にフランクフルトをぶち込むだけなんだから」と懐かしそうに話す。

▲現役時代は壊れたダンプカーだったが、今や素敵な好々爺

「テンリューのチョップを受けて涙が出た」(ハンセン)

駆け出し時代の天龍について、ハンセンは「あの頃から地力があるのはわかっていた。やはり、あの力強いチョップが第一印象だな」と回想。その時点で、ハンセンは新日本プロレスのエース外国人として活躍しており、のちに全日本へ移籍して天龍と闘うことになるとは、誰も想像すらしていなかった。

「新日本で人気があったスタンが全日本に来ると聞いたときはうれしかったよね。まさか闘うことになるとは思っていなかったから。たしか、初めて対戦したときは10分以内で(自分が)やられているはずだよ。(ウエスタン・ラリアットを受けて)その結果が、この状態ですよ」

術後の姿を包み隠すことなく見せた天龍は、そう言ってハンセンの笑いを取る。このままでは、自分だけがひどい目に合わせたと思われると察したのか、不沈艦も反撃する。

「それはお互いさまだな。こっちもいいモノをもらっていたからね。テンリューのチョップを食らったとき、涙がこぼれたのはここだけの話だ。あのチョップは痛みだけでなくスピードもあり、一発だけでは済まず、どんどん繰り出しては前に出てくる。それがプロレスラーとして評価されたからよかったのだろうけど、皆さんはやられるこっちの身になって考えてください」

全日本移籍後、ハンセンはブルーザー・ブロディとの「超獣コンビ」で暴れまくり、それを迎え撃ったのがジャンボ鶴田と天龍の「鶴龍コンビ」だった。だが、ブロディが新日本へ移籍したあと、天龍も阿修羅・原と天龍革命をスタートさせ、図式が変わる。

それまでのハンセンにとってはジャイアント馬場、アマリロ修行時代の同期・鶴田がライバルだったが、そこに天龍が食い込んできた。体を張って真正面から浴び続けたラリアットを自分の技とし、その左腕を本家にも叩き込んでいく。

「ほかの選手があの技を使うのは、イヤではなかった。テンリューやチョーシュー(長州力)が使うようになり、たしかにいい使い手だったと思う。ただ、そのなかでも私のラリアットがもっともインパクトがあったと、皆さんが思っていたらうれしいね」

ここで起こったのは、言うまでもなく万雷の拍手。満足気に「サンキュー、アリガトウ」と感謝を伝えたあと、ハンセンは今なお伝説として語り継がれている1988年3月5日の“秋田失神事件”について触れ始めた。

▲天龍源一郎&スタン・ハンセンのトークライブ