三島由紀夫が論じた「日本の滅亡」

こうした「日本が滅び去る」というイメージを描写した議論の中で、多くの国民に広く知られた重要な指摘が、三島由紀夫が自決する約4カ月前の1970年7月7日付の産経新聞に寄稿したエッセイ『果たし得ていない約束 恐るべき戦後民主主義』の中の下の一節です。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」

ここで三島が指摘しているイメージは、イーロン・マスク氏が言うようなものとは異なり、「日本」という国そのものは、人口が大幅に減少することもなく経済大国として繁栄し続けているものの、その中身が、それまでの日本とは似ても似つかない「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない」国家となってしまう──それは日本国家と便宜上呼ばれているとしても、そんなものは、かつての日本とは全くことなるものなのだ、という指摘です。

これはたとえば、今のイタリアという国は、紀元前に成立した「ローマ帝国」と同じ場所に存在しており、遺伝子的にはイタリア人とローマ人は同じかもしれないが、ローマ帝国とは全然違う国になってしまっており、現代のイタリア人は、かつてのローマ人とは全く異なる、別の存在となっている、という話しと同じです。

こう考えれば、この令和の時代の日本人というのは、万葉の時代の日本人や武士の時代の日本人、さらに言うなら、昭和の時代まで当たり前に生きていた伝統的な日本人とは似ても似つかない、全く別の存在であるかのように思えてきます。

ですが、イタリアとローマは「全く別の国」である一方、万葉や武士の時代の「日本」と、今日の「日本」とは、連続しているものと解釈することも可能です。同じ日本語を話し、古文の文法を学べばそれなりに昔の日本人の言葉を理解することもできる。あるいは、万葉集や新古今和歌集、あるいは、平家物語や太平記の物語を、当時の日本人と同じような心情でもって観賞することもできます。

そしてそうした連綿と引き継がれて今の日本がかつての日本と連続している、ということを象徴しているのが、「皇室」の存在です。

神武天皇から今日の今上天皇に至るまで、「万世一系」で連綿と血統(すなわち皇統)が引き継がれてきていると同時に、「三種の神器」や新嘗祭・大嘗祭をはじめとしたさまざまな「神事」が継承されてきています。今のイタリアやギリシャには、そうした連綿とローマやアテナイから継承されてきたものはありませんから、その点において、少なくとも今の日本は、かつての日本と一定の連続性を維持してきているわけです。

ですが、三島は、このまま行けば、「戦後」というこの時代の中で、そうしたものがあらかた蒸発してしまい、無機的でからっぽな何も中身の無い国になってしまう──ということを危惧したのです。そうであれば、その国がどれだけ経済的に繁栄していようが、それはもはや日本ではないではないか、と指摘したわけです。

▲皇室を含めた日本の伝統が失われ「からっぽ」になってしまう イメージ:まちゃー / PIXTA

この三島の指摘は、「脳死」という概念を用いるとわかりやすいのではないでしょうか。

「脳死」というのは、心臓や肺は動いてはいるものの、脳の働きが全て止まってしまった状態を言います。外から見れば、心臓も肺も動いており、温かみもあるので、脳死状態にあっても「生きている」ように見えます。

ですが、脳の働きが全て止まってしまっているので、何かを認識したり考えたりすることができません。私達が一人一人の人間に想定する「こころ」というものがない状態です。

したがって、脳死は、生きているように見えたとしても、殆どの国で「人の死である」と認定されているのです。我が国においても、現在では(一定の条件を満たせば)「人の死」と認定されるようになってきています。

この脳死という概念を用いれば、三島は、日本人が「日本人として脳死」の状態になるということを指摘しているわけです。仮に元気に活動しているように見えても、空っぽで無機質な活動であるのなら、そこには「日本人としてのこころ」は何もないのであり、カネ儲けの話しに幾分反応するだけの「抜目がない」ニンゲン達が跋扈する世の中になってしまっているわけです。それはもう日本人ではないわけです。

この三島の指摘は今、ますます現実化しているといっていいでしょう。

上記のように一定の伝統的なものを令和日本人も古代日本人、近世日本人、中世日本人から引き継いできてはいるものの、その伝統はこの令和の時代、あらかた蒸発してしまっていると言って過言ではないでしょう。

もちろん「こころ有る日本人」は、減ってきているとはいえ皆無になったわけではなく、この令和日本においても(たとえば、皇室の中等をはじめとして)一部残存していることは残存していると考えることもできる筈です。

とはいえ、三島ですら、将来の見通しについて相当「楽観」し過ぎていたきらいはあります。

というのも、このエッセイを認めてから半世紀以上たった今、日本はもはや、「富裕な、抜目がない経済的大国」とは決して呼べない国家に成り下がってしまっているからです。

「人はパンのみに生きるにあらず」ではありますが「衣食足りて礼節を知る」のもまた真実。「反成長」主義の影響が強すぎたのか、今の日本は全く成長できない国家に成り下がり、急速に貧困化が進んでしまい、衣食すら足りないような国民が急拡大しているのです。

結果、今の日本国民はこの衰退経済の中で(一頃ブームになった韓国のTVドラマ「イカゲーム」のような)限られた椅子を多くの競争相手と奪い合う命がけの椅子取りゲームを強要される状況に至っており、かつて日本人が伝統的に持っていた惻隠の情や義理や人情、そして忠義や孝行といった心情も習慣を急激に失い始めてしまったのです。

したがって、今の日本は「富裕な、抜目がない経済的大国」というよりもむしろ「貧困な、あさましい衰退国家」に転落してしまったわけです。

おそらく三島がもし令和の現代に復活して今の日本人を目にすれば「これはもう、ますます日本人でないではないか、日本はまさに、滅ばんとしているのだ」と確信したことでしょう。

▲からっぽどころか国力そのものが衰退していく体たらく イメージ:SEKIGUCCI / PIXTA