キサラからの戦力外通告
俺は焦った。可愛い後輩と事務所を思うあまり、ゆりかもめの中で後輩を失神させてしまったのだ。
「おい! 大丈夫か! うん、アンパンマンもいいと思う! アンパンマンはいいぞ!」
ゆりかもめの中でひたすらアンパンマンを連呼する俺と、返事もできない後輩。不思議そうな目で見ている外国人観光客。結局、後輩も俺もオーディションには落ちたのは言うまでもない。
この頃、芸人としての原点といえる新宿のショーパブ「キサラ」は変化を迎えていた。ずっとお世話になっていた店長は、リーマンショックで軒並み飲食店の売り上げが下がるなか、その責任を取るかたちで退職していた。新しい店長のもと、店の営業は再開したが、俺はクビになってしまった。経緯を書くと長くなるので割愛するが、まぁ戦力外通告のようなものだ。
当時は「こんなやり方は間違っている」と憤りを感じ、周囲に不満を漏らしていたが、今となってはよい卒業の時期だったのだと思う。あのまま出演していたら、もっとショーパブという竜宮城で時が経つのを忘れ、老人になっていたかもしれない。だが、間違いなく芸人としての原点であり、俺を育ててくれた大切なお店だ。今でも感謝している。
ショーパブをクビになり、日銭を稼げる場がなくなり途方に暮れていた頃、茨城県土浦市にある「歌芸夢者」というショーパブから声をかけてもらった。
クビになったことを伝えると、「キサラに出れなくなったぶん、うちの店においでよ。俺が食わしてやるから」と社長は言ってくれた。捨てる神あれば拾う神あり、とはこのことだ。今でもこの社長の言葉に恩を感じている。
一方のキサラは、オードリーの活躍により連日テレビで紹介され、俺がいた頃には想像もつかない人気店となっていた。連日のようにテレビに映るかつての仕事場を、まるで知らない場所のように感じている自分がいた。もう、あの場所には戻ることはないだろう。
月に5回ほど土浦に通う日々が始まった。片道1時間の土浦行きの電車に揺られながら、俺はこの先どうやって食っていくのだろうと思った。
(構成:キンマサタカ)