気配りが忖度の行き過ぎを招く
問題なのは、ニュースで流される不正疑惑のように、「忖度」により判断が歪み、不適切な行動が取られることだ。
体育会系の世界にどっぷり浸かって過ごしていると、監督やコーチ、先輩などの意向を忖度して行動することが常習化し、忖度は当たり前の世界に感覚が麻痺してしまう。それがときに不祥事につながる。
また、そのような場合の忖度というのは、下の人間が上の意向を忖度して行動するわけであるから、何らかの問題が表面化したときも、上の人間は「そんな指示はしていない」と責任逃れすることができる。はっきり指示されなくても、ほのめかされることによって、下の人間が忖度して動く。
日大アメフト部の危険タックルの問題にしても、日本ボクシング協会の不正判定の問題にしても、そこには体育会系で鍛えられる気配り力を土台にした忖度が絡んでいたとみなさざるを得ない。
政治家も官僚も体育会系思考で動く
とはいえ、何も体育会系組織だけが特殊なのではない。というよりも、日本的組織はみんな体育会系的組織の特徴をもっているのである。
メディアを賑わす事件、たとえば学校における教員間のいじめ問題でも、大学入試における英語の民間試験の利用や国語の記述式問題の採点業務の民間委託の問題でも、役所の文書改ざんの問題でも、どれをみても前章で検討してきた体育会系組織の病理構造がそのままあてはまる。
そもそも、国民にとって重大な決議のために慎重な議論をすべきはずの国会が、これまた体育会系のノリで動いている。それはテレビの国会中継をみればよくわかる。
頭がふつうに働く国民なら、「あの答弁はおかしいじゃないか」とだれもが思うような答弁を政治家も官僚も平気で繰り返す。
不祥事をほんとうに追及されれば責任を問われる立場にある政治家たちも、余裕のポーズで笑っている。権力者である自分に追及が及ぶとは思っていないからである。
上には絶対服従、決して逆らうことはできないといった体育会系のノリで、官僚は政治家の責任逃れの姿勢を守るべく、矛盾に満ちた答弁を繰り返すばかりで、決してほんとうのことは言わない。
官僚たちは頭は良いはずなのだが、自分の頭で考えて判断することが許されない構図の中で動いている。それは、官僚の人事権が官邸に握られているからだ。政治家に不利な証言をしようものなら、どんな報復があるかわからない。
ここで、日大アメフト部で監督やコーチの指示に従って危険タックルをした学生のことを思い出す人もいるだろう。彼は、何か不満があると思われたためか、実力は日本代表に選ばれるほどなのに、実戦形式の練習でもメンバーから外され、危険タックルをして相手を潰すなら試合に出してやると言われていたという。
このような体育会系の構図と、政治家や官僚の構図には、まったく違いがみられないといってよいだろう。
政治家同士も同じである。メディアを通して伝わってくる客観的資料を踏まえて官僚や大臣の答弁を聞けば、その矛盾に容易に気づくはずだが、自分が属する政党に不利な発言は絶対にしない。不利な発言などしようものならつぎの選挙で公認してもらえない。
したがって、正しいかどうかで判断するのではなく、自分たちの派閥に有利かどうかで判断する。ゆえに、国会で圧倒的多数派を取ってしまえば、あとはやりたい放題となり、自浄作用はきかない。まさに腐敗した体育会系組織そのものである。