2023年1月11日、ロシアはゲラシモフ軍参謀総長を対ウクライナの最高司令官に任命した。振り返ってみると、ウクライナが戦争準備しているということは、ゲラシモフ参謀総長とその下の将官たちは皆わかっていたはずで、この戦争がここまで長引いてしまった理由は、軍人以外の部分にあるようだ。防衛問題研究家の桜林美佐氏の司会のもと、小川清史元陸将、伊藤俊幸元海将、小野田治元空将といった軍事のプロフェッショナルが、ロシアのこれまでの信じられない迷走戦略について解説します。

※本記事は、インターネット番組「チャンネルくらら」での鼎談を書籍化した『陸・海・空 究極のブリーフィング-宇露戦争、台湾、ウサデン、防衛費、安全保障の行方-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

考えていることとやっていることが違う?

小野田(空) 第一局面において、ロシアは2022年3月末に「キーウ方面の作戦については目的を達成したからやめた」と言い、4月上旬には東部及び南部に戦力を集中して攻撃目標をシフトしました。その後、ハルキウ、イジューム、スラビャンスク、マリウポリ、ヘルソンというラインがいわゆる最前線になった。結果的にイジュームも取り、マリウポリも攻略に成功し、ヘルソンも攻略に成功した。

それが、5月後半には、ドネツク州、ルハンスク州内のセベロドネツクあたりが前線になり、ロシア側はそこにヘルソンやハルキウにいた部隊を回しているようだ、という分析が行われていました。ということは、4月上旬よりも5月後半においては、ロシアは戦線を縮小させて、攻撃の焦点を絞るようにしたということになるんでしょうか?

小川(陸) そう思います。では、ハルキウやヘルソン方面など目的よりも張り出しすぎていたところは、いったいなんだったんですか? ということになりますよね。それは、統一指揮がとれていなかったのかもしれませんし、目の前にいる敵をやっつけているうちに、そこへ行ってしまったということも、もしかしたらあるかもしれません。

▲注:FEBA(Forward Edge of the Battle Area:主戦闘地域の前縁)、FLOT(Forward Line of Own Troops:自軍の前線)

もう一つは、陸軍のその後の防御態勢を取ろうと思えば、FEBA(Forward Edge of Battle Area:主戦闘地域の前縁)の前面に警戒陣地が欲しい。そこまで張り出す必要があるからやったと言えば、そうだろうというのはわからなくもない。

けれども、そこに投入した火力やら何やらは相当なものだと思います。それだったら、最初からドネツク、ルハンスクに集中すべきではなかったのか、クリミア半島に集中すれば、あそこまで前線を出す必要はなかったのではないか、という問題があります。

現状はルハンスクの残った所にまだ戦力を集中しているわけで、これを取る意味がどこまであるのかというところなんです。戦略レベルの目的に対して、それを作戦レベルに落とし込んだときに、戦略目的に合致するような軍事作戦に落とし込めているかどうか、そこに私はそもそもの疑問を感じましたね。

伊藤(海) 私は最初から変だなと思っていましたけどね。「プーチンは考えていることとやっていることが違うじゃないか」と。ずっとおかしいですよ。軍はたぶんそんなバカではない。特にゲラシモフあたりの参謀総長が、そんなバカな作戦をやるわけがない。

どのレベルの人間が、そんなおかしなことをやっているのか、という話です。国家目標として言っていたこととやっていることにあまりのギャップがある。だから、世界から孤立したわけですよね。本当に理解できない。

▲ワレリー・ゲラシモフ 出典:Mil.ru / Wikimedia Commons

ベトナム戦争でアメリカが猛反省したこと

桜林 軍のプロではなくて、たとえばプーチン大統領が細かい作戦レベルまで指示している可能性も、なきにしもあらずということですか?

小川(陸) その可能性はあるかもしれません。しかし、そもそもなぜ軍の指揮命令系統に畑違いの人が入ってきてはいけないのか。陸上自衛隊であれば、人材育成として師団長をつくるのに30年、方面総監をつくるのに35年ぐらいかけるわけです。長年をかけて部隊の重さをわかり、人の重みをわかり、方面隊を動かすにはどれぐらいの全体最適を目指して指揮すべきか、ということを徹底的に頭に入れるわけです。

違う畑からいきなり来た人は、全体最適を無視して「ここはちょっとこうできないか」「ああいうふうにできないか」と、一点だけもしくは局所を言うんですよ。こうしたことは人事や予算の仕組みでも似たようなことが起きるんですが、責任のある指揮官の立ち場からすれば、全体のバランスを考慮して一番いいと思える形にしているわけです。

人事担当者の案に対して「ちょっと彼をここに動かしてくれないか」と言われても、それに従って1人動かせば、あと20人ぐらいは動かさなければ駄目だということになるんです。そして全体最適は大きく崩れます。

また、大前提として、指揮命令系統のあいだには誰も入れてはいけません。指揮官は、普段訓練をしている指揮下部隊の能力や指揮官の能力を理解しています。そのことを理解している人が全体最適を果たすために指揮をします。そして、いざ有事に備えるために、軍隊というのは指揮命令系統を強くし続けるための訓練を愚直に行っているんです。

政治と軍事との関係で、ベトナム戦争においてアメリカが猛反省したことがあります。当時のロバート・マクナマラ国防長官が戦術目標まで指示をして、戦果の集計要領にまで口を出していました。戦略を言うべきマクナマラ長官が戦術まで降りてきて、それまで軍人がずっと取り組んできた全体最適の部分に入ってきてしまった。

だからその後、アメリカでも戦略と戦術の中間に作戦術を取り入れ、作戦術・戦術は軍人の専管事項、戦略は政治家、という線引きをしました。ロシアも同じで「政治の介入はここまでですよ」というラインを一生懸命つくったわけです。今のロシアは、それのどこかに破綻が生じているのかもしれません。

桜林 歪んだ、間違えたシビリアンコントロールみたいになっているということでしょうか?

伊藤(海) 軍人なら、こんなバカな作戦は絶対やりません。ずっと不思議でしょうがなかった。

桜林 そこはやはり、軍事のプロから見て違和感があると。