北朝鮮でのR・フレアー戦が引退試合
――原さんがカメラを通じ、猪木さんの衰えを感じたときはいつでしたか?
原 やっぱり、ちゃんと感じたのは82年。
――82年、まさに猪木さんが糖尿病になった年ですね。
原 それ以前からあったんでしょうけど、この頃から調子がいい日と悪い日が目立つようになってきて。「疲れてるなあ」って日もありましたね。
――そして、98年に猪木さんはドン・フライ戦で引退されました。ただ、ファンのあいだでは「猪木はあのときに引退しとけばよかったのに……」というタイミングがポツリポツリとあって。代表的な試合は、横浜文化体育館での藤波戦です。
原 88年8月8日(横浜文体での藤波戦)……あれは、引退しないと思ってましたよ。だって、私が会場に行ったのすごい遅かったから(笑)。セミファイナルくらいに着いたんで。
――「この試合では引退しない」って読んでたんですね(笑)。
原 だって、会場ちっちゃいでしょ? 古舘さんが実況で呼ばれたけど「ここじゃないよな」って。だって、横浜文化体育館ですよ?
――猪木さんの地元とはいえ。
原 「天下のアントニオ猪木が、5000人ぐらいの会場では引退しないだろう」って。いや、まだね、国技館とか武道館ならわかりますよ。
――だって、30周年は横浜アリーナでやってますもんね。そのときは、それなりに大きい会場でやってるわけで。
原 だから、それはないなと思いました。あるとすれば、藤波が猪木をフォールしたら突然辞めるかもしれないな……とは思いましたけど。
――そこの藤波さんの押しの弱さって、ありますよね(笑)。
原 でも、あれだけ年が離れててガンガン来られたら、きっとびびっちゃうでしょうね。
――『猪木』を読むと、猪木さんの引退のタイミングとして、原さんはショータ・チョチョシビリ戦と北朝鮮でのリック・フレアー戦を挙げていらっしゃいます。特にフレアー戦については、私も“なるほど”と思いました。
原 北朝鮮の試合は雰囲気的に力道山と被るところもあるんですが、やっぱりお客さんがいっぱい入って、相手はリック・フレアーで、モハメド・アリもいて、アリが立ち会ってて……という状況から、あれが猪木さんの引退試合だったって感じがしましたよね。
猪木さんと会う日は“遠足の前”みたいだった
――体調を崩された猪木さんが求めた友人として、原さん、古舘さん、村松友視さんの3人をイメージするんです。奇しくも、他のジャンルでも地位を築かれた3人。弟子を呼びつけるでもなく、好んで原さんたちを招いていたイメージです。それって、どうしてなんでしょうか?
原 う~ん、なんでですかね。
――たぶん、弱みが見せられるっていうのがあるんじゃないかな……って思うんですけれど。
原 う~ん……弱みね。あんまり考えたことなかったけど、そうかな。
――古舘さんがずっとしゃべり続け、その横に原さんがいて、猪木さんがニコニコしている……みたいなイメージがあります。
原 猪木さん、ニコニコはしてないですけどね(笑)。
――あ、本当ですか(笑)。「ムフフ」という感じで。
原 そう、ただいるだけで。古舘さんはずーっとしゃべってるから。信じられないでしょうけど、しゃべってるんですよ(笑)。
――猪木さんが寝ててもしゃべってるという話で(笑)。
原 寝ててもしゃべってます、本当にしゃべってる。しゃべり出したら止まんないんですよ。
――そこに古舘さんは喜びがあるのでしょうけど。
原 やっぱり、“猪木ハイ”になっちゃうんでしょうね。
――“猪木ハイ”! それって、原さんにもありましたか?
原 私は“猪木ハイ”という感じじゃなくて、なんだろうな? 一緒にいるときより、訪ねていくときのほうがうれしいんです(笑)。変な感じだけど、そんな感じ。
――遠足前みたいな感じですか?
原 そう、遠足の前みたいな。行く前は「今日、猪木さんはどんな顔してるかな?」と思って。
――でも、行ったら行ったで会話はあまりないんですよね(笑)。その場がいいみたいな感じでしょうか。
原 はい。