2月23日、天皇陛下が即位後に初めての誕生日の一般参賀が行われた。前日の記者会見では「皇室のSNS」についても、適切なタイミングでお知らせすることも大事、といった考えを示されたが、秋篠宮殿下も昨年に皇室の情報発信について話されており、時代に合った皇室情報の発信に注目が集まっている。

皇族にも言論の自由はある。振り返れば、平成29年から始まった秋篠宮家にまつわる報道の数々。歴史学者の倉山満氏が、秋篠宮家へのバッシングが強まった経緯を紐解き、殿下の真意を解説します。

※本記事は、倉山満:著『決定版 皇室論 -日本の歴史を守る方法-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

秋篠宮家バッシングの本質を探ってみる

秋篠宮家に対する世間のバッシングは、小室圭さんと眞子さんの結婚問題で生じたと一般的には思われていますが、これは誤った認識です。

眞子内親王殿下(当時)のいわゆる横浜デートが雑誌『週刊女性』の平成28年11月1日号で報じられ、NHKがスクープとして「眞子さま、婚約へ」とまずは速報テロップで報じたのが平成29年5月16日、同年9月3日に婚約内定会見が行われ、日本中が祝福ムードに包まれました。眞子内親王のご結婚、そしてそのフィアンセへの歓迎ぶりは当時、“小室フィーバー”などと称されました。

雲行きが怪しくなってきたのは、同年12月26日号の『週刊女性』で「眞子さま嫁ぎ先の“義母”が抱える400万円超の“借金トラブル”」とタイトルされた記事が報じられてからのことで、平成30年2月6日に宮内庁が結婚延期を発表し、同年8月7日、小室圭さんはアメリカのフォーダム大学へ留学するためにニューヨークに居を移します。とはいえ、この時点ではまだロイヤルウェディングにまつわるスキャンダルの一つでした。

これが厳しいバッシングに変わるきっかけは、平成30年11月30日に公表された秋篠宮殿下の53歳の誕生日記者会見でした(記者会見自体は11月22日に収録)。秋篠宮家バッシングの理由の本質は、この記者会見にあります。

記者会見において、次の質疑応答がありました。宮内庁ウェブサイト「文仁親王殿下お誕生日に際し(平成30年)」にアーカイブされています。

要点は、以下の通りです。

大嘗祭(だいじょうさい)は宗教色が強いので、国費で行うのは適切かどうかという疑問を呈したうえで、憲法の政教分離とも考えると内廷会計で行われるべきではなかったかと述べられていること。大嘗祭自体は絶対にすべきものという前提で、身の丈にあった儀式にすればと言ったけれども、宮内庁長官が聞く耳を持たなかったと述べられていることです。

▲今上天皇明仁の大嘗祭の様子(平成2年) 写真:外務省 / Wikimedia Commons

当時の宮内庁長官は山本信一郎氏で、山本長官は「大嘗祭はさまざまな議論を経て内廷費ではなく、宮廷費を充てることが決まったと、秋篠宮さまには説明してきた。つらいが、聞く耳を持たないと受け止められたのであれば申し訳ない」と述べ、同庁の西村泰彦次長は定例会見で「しっかりした返答をしなかったことへの宮内庁に対するご叱責と受け止めている」との見解を示しました。

ずいぶん殊勝な態度ですが、誠が伝わってきません。これは私の主観ですが。

この秋篠宮殿下のご発言があって、秋篠宮家バッシングが本格化します。女性週刊誌が御結婚問題で叩き始めたのは影響が大きく、Yahooニュースのコメント欄を筆頭にバッシングが連続して今に至る流れができました。

秋篠宮殿下の発言を正確に読み取ることができている人は、ほとんどいませんでした。

「身の丈にあったところで行おう」という発言だった

天皇の行為は、国事行為・公的行為・私的行為の3つに分けて考えられています。国事行為は日本国憲法第七条に明らかにされていますが、第七条に書かれたもの以外の公人としての行為が公的行為です。その他はすべて私的行為で、つまり皇室伝統の儀式は、たとえば趣味で皇居の中をドライブすることと同じ、私的行為となります。生物の研究も大嘗祭も、私的行為の中に入ってしまう法体系となっています。

秋篠宮殿下がおっしゃった「宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、それは、私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています」というのは、政府の関与から宮中行事を守るための発言です。

国の行事ということであれば、何十億というお金が政府から出るわけですが、その代わりに政教分離の原則に従って指図を受けることになります。昭和64年に昭和天皇の崩御があり、同年(平成元年)2月24日に葬儀が営まれました。午前中は皇室の私的行事として葬場殿の儀が行われました。このときは鳥居をはじめ、神具が備えられています。

午後は、国家儀礼である大喪の礼となります。国家儀礼ですので、憲法二十条の政教分離原則に従わねばならないということになります。神具は取り払われます。鳥居も最初から車輪を付けており、取り払われました。世にも恥ずかしい「移動式鳥居」です。移動式鳥居は衆人環視の下で登場しました。政府に任せておけば、こういう世にも恥ずかしいことをやらされるのです。

大嘗祭で何が起きたか知りえませんが、容易に想像できます。

秋篠宮殿下は、内廷費という皇室のポケットマネーでつつましやかにやればいい、その方法は自分で研究している、とおっしゃられたわけです。

これに対し、いついかなるときも保守業界の、時の権力者の意向に歩調を合わせる、保守のなかでも知識と情報に著しく欠けて、思いだけが極端に強い方々は「大嘗祭という皇室にとって、ものすごく大事なことをつつましくやろうなどと言う秋篠宮は、皇室のなんたるかをわかっているのか」などと叩きまくりました。

「国の予算と公的行事のあり方に異議を唱える極めて政治的発言、政府の決定に記者会見という公の場で異論を唱えたことは不適切」などと盛んに批判されました。彼らはいったい何様のつもりでしょうか。

皇族には言論の自由がある、ということをまず理解したほうがいいでしょう。公開の場では自己抑制するけれども、よくよく考えたうえでのことを絶対に言ってはならないかというと、それを否定する法はどこにもありません。

そもそも大嘗祭は、農作物の豊穣を祈る、最も重視される祭祀の一つです。神道の儀式によって行われるので当然、宗教色が強くなります。平成への御世代わりのときには、国家としても大事な儀式であるという理屈で国費が投じられました。20億円強が投じられたそうです。内廷費という皇室の予算は3億円ぐらいですから、国費で賄ってもらったほうが助かる関係者は多いわけです。

だからこそ、もう身の丈にあったところで行おう、というのが秋篠宮殿下の発言だったわけです。

秋篠宮家(2020年) 写真:外務省 / Wikimedia Commons