厄年で知った大きな喜び
首も座り、目もはっきりと見えるようになると、こちらのやることにしっかりと反応してくれるようになる。
俺が繰り出す全力の「いないいないばあ」に、無邪気にキャッキャッと笑う息子の笑顔に心の底から癒やされる。何度やっても笑ってくれるから、こちらも手を抜くわけにはいかない。何度でもやる。だが、やがて疲れる。この子を笑わせたまま人生が終わるのも悪くないと思う。当時の俺は42歳。この子が成人する62歳までは死ねないな、と思ったことをよく覚えている。
42年間生きてきて、世の中の楽しいことはやり尽くしたと思っていた。海外旅行にも行ったし、クラブに行ってナンパもした、改造車を乗り回して我が物顔で街を走り回った。芸人になって、きらびやかな舞台に立ち、少しではあるがテレビにも出れた。
でも知らなかった。俺の人生に、子育てというこんな楽しいイベントがあったとは。ネタがウケたときの喜び、賞レースで勝ち進んだときの喜び、そんなのとは比較にならない喜びがあった。
かわいい我が子よ。もしマンションが火事になって、絶望的なくらいの火に包まれていても、俺は絶対に飛び込んで助けに行く。一生をかけて守ってやる。俺は確かに、この子にそう誓った。
保育園デビュー
翌年4月から、息子を保育園に預けることになった。生まれて10か月の赤子を保育園に預けるのは心苦しかったが、俺の稼ぎは少ないし、妻にも働いてもらわないと満足な生活を送ることはできない。苦渋の選択だった。家から一番近い第一希望の保育園に受かったのが、せめてもの救いだった。
入園式の日の午後から「慣らし保育」が始まった。いつもと違う環境に慣れさせるために、まずは2時間だけ預けて、保育園に慣れてもらうのだ。それが終わると、朝から夕方まで預かってもらうことになり、俺と妻もようやく仕事に本格復帰できる。
入園したばかりの頃は特に問題はなかったが、徐々に自我が出てくると、保育園の受け渡し時に大泣きされることもあった。涙をボロボロこぼしながら「パパ~、パパ~!」と追いかけてくる我が子を見るのはツラい。
「ごめん、息子よ。パパはバイトに行かなければ、お前たちを養うことができないんだ」
そう心の中で呟く。後ろ髪を引かれながら保育園を後にするときは、いつも早足だった。
(構成:キンマサタカ)