日本がWBC連覇を成し遂げた2006年・2009年

連覇を成し遂げたのはWBCだ。

五輪とは異なり大会前に事前準備期間があったため、メジャーリーガーが参戦してレベルも高かったこともあり、結果が出やすかったのはあるだろう。

大会が始まれば、打線は打率.311 10本塁打  57打点を記録。13盗塁はもちろんのことだが、打撃3部門が出場国1位を記録。長打率.478も3位を記録しており、世界を相手にしても打撃の良さがわかる大会だった。

要所では西岡剛や川崎宗則を中心に、小技を織り交ぜる攻撃の質の高さを見せつけた。しかし、韓国にはまさかの2連敗を喫する。この敗戦に関しては、韓国投手陣の変則投手や細かい継投策に苦しんだ。

そこから奇跡的に勝ち上がった日本は、準決勝の進出を決める。3度目の対戦となった韓国戦。そこで国際大会無敗の上原が、韓国打線に対して素晴らしいピッチングを見せた。さらに打線も福留孝介が意地の一発を見せる。そして、あの「生き返れ福留!」の名台詞が生まれた。

決勝戦では、アテネ五輪でキューバ打線を抑えた松坂大輔が好投を見せるなどして、初代覇者に輝いた。

大会全体を見ると、スター軍団のアメリカは二次ラウンド敗退。その他ベネズエラ、プエルトリコなどが敗れた。そんななかでドミニカ共和国は、ソリアーノが不調ながらも、オルティーズやプホルス、コロンなどメジャーで実績がある選手を揃えてベスト4になった。

日本は戦いを重ねながら、チーム全体が国際大会の勝ち筋を身につけ始め、日本らしい野球を生かしながら勝ち進むことができた。

また、イチローの存在感が大きな影響を与えたのは間違いなくある。普段は冷静沈着なイチローが、韓国戦で闘志剥き出しの姿勢を見せた。それを見ていた選手は、士気が高まっただろう。

初のメジャー組との融合となった国際大会は、初代王者として世界の頂点に立ったことにより、日本の野球のレベルの高さを認知させられたのではないだろうか。

第二回となったWBCは、開催前から動きがあった。

前年に北京五輪があったため、監督の選出が前年の10月下旬まで決まらないままだった。その監督の選出も、北京五輪で指揮した星野氏の名前があがった。

しかし、チームリーダーとして期待されるイチローは「大切なのは足並みをそろえること。(惨敗の)北京の流れから(WBCを)リベンジの場ととらえている空気があるとしたら、チームが足並みをそろえることなど不可能」とコメント。松坂も「(WBCを)北京五輪のリベンジの場にしてほしくない」とコメントを残した。

投打の軸からのコメントや北京五輪の惨敗で世間の批判もあり、星野氏はWBCの監督を辞退した。候補として名前があがっていた落合博満氏も辞退。

最終的には、現役監督の原辰徳氏と渡辺久信氏の二択となり、原氏が就任となった。原氏は「今までは監督の苗字+ジャパン(長嶋ジャパン、王ジャパン、星野ジャパンなど)で呼ばれるのが通常であったが、自分は『監督の苗字+ジャパン』のように呼ばれるような値の人間ではない」とコメントを残す。

このWBCから現在の愛称である『侍ジャパン』として動き始めた。しかし北京五輪の惨事が影響したこともあり、中日が全選手辞退という異例の出来事が起きる。膝の状態を考慮して松井秀喜も辞退。黒田博樹や斎藤隆も辞退を表明。

ただ、その状況でもイチロー、松坂、城島健司、岩村明憲、福留の5人のメジャーリーガーを揃える。

このWBCも日韓両国が大会を盛り上げた。大会前からの調整、大会中の試合運び、コンディショニングなど、この大会までは日韓2か国がずぬけていた。

日本は前回大会の王者として出場。一次ラウンドの韓国戦では、北京五輪で苦しんだ金廣鉉(キム・グァンヒョン)を攻略して大勝。順位決定戦では敗れたものの、二次ラウンドに進む。

キューバに対しては、サイン盗みを逆手に取ったことや、岩隈久志が霧の中、ゴロアウトを積み重ねて抑えるなどで2戦2勝。韓国には1勝1敗で準決勝に進む。

この結果を見ても、2009年WBCから世界野球が少しずつ変わりだした。アジアの二強が順当に勝ち上がったなかで、メジャーリーガーが不在ながら、前回大会で健闘していたキューバはまさかの二次ラウンド敗退。アマチュアながら野球大国・キューバの強さに陰りが見え始めた大会だった。

日韓が強さを見せたなかで、この大会はベネズエラが意地を見せた。メンバーには後に三冠王に輝いたミゲル・カブレラや、サイ・ヤング賞に輝くフェリックス・ヘルナンデス、セーブ新記録のフランシスコ・ロドリゲス、ボビー・アブレイユなどの実績組が揃っていた。

さらに、NPBでも活躍したホセ・ロペスやジェラルド・パーラも選ばれていた。このメンバーを揃えてベスト4まで勝ち上がる。

決勝を振り返ると、先発の岩隈が好投を見せ、サウスポーの杉内俊哉も好リリーフを見せる。そして、9回はダルビッシュ有がマウンドに上がる。

しかし、制球が定まらず連続四球でランナーを溜めて、二死1,2塁で李机浩(イ・ボムホ)のタイムリーで追いつかれる。韓国に流れが行きつつあるなかで、延長10回に大会を通して苦しんだチームリーダーが試合を決める。

この回、先頭の内川が林昌勇(イム・チャンヨン)からライト前ヒットで出塁。続く稲葉がバントで送り、岩村がつないで一死1,3塁となる。ここで代打・川崎が登場。しかし、ショートフライに倒れて二死1,3塁となる。

この場面で打席が回ってきたのがイチロー。そのイチローがセンター前へ2点タイムリーを放ち、試合を決めた。

▲試合を決める決勝タイムリーを放ったイチロー 写真:AP/アフロ

試合後、イチローは「僕は持ってますね。神が降りてきたという感じ。日本中のみんなが注目しているだろうと思って、自分の中で実況して、普段は結果が出ないんだけど、それで結果が出て、壁を越えたと思います」とコメントするほど自画自賛のタイムリーだった。

その裏の韓国の攻撃をダルビッシュが締めて5対3で試合終了。日本がWBC2連覇を果たした。

大会が開催される前の日本は多くの辞退者がいながら、大会を勝ち進んでいくうちに、国内組とメジャー組の融合の最大化ができた大会だったのではないだろうか。

振り返ると、日本代表は2000年代の五輪ではなかなか結果を残すことができなかったが、WBCでは2連覇を成し遂げるなど、歴史に名を残したことがわかる。


プロフィール
ゴジキ(@godziki_55)
自身の連載である「ゴジキの巨人軍解体新書」「データで読む高校野球 2022」をはじめとした「REAL SPORTS」「THE DIGEST(Slugger)」 「本がすき。」「文春野球」などで、巨人軍や国際大会、高校野球の内容を中心にコラムを執筆している。今回、新たに「WANI BOOKS NewsCrunch」でコラムを執筆。Twitter:@godziki_55