一枚でもチケットが売れるんだったら俺たちはやる
今日は試合がないので、2度目の営業だ。夜の時点でテッドさんから「明日はちょっと遠出するから朝早く迎えにいくぞ」と言われていた。
午前6時。すでに朝日は目に痛いぐらい輝き、セミがうるさく鳴きまくる。東京と比べたら少しは過ごしやすい東北だけど、8月なかばはこの時点で気温が30度近くに達しているように感じる。
テッドさんは、おとといタスケさんがはねられた宣伝カーに乗ってきた。よかった、まだ動くようだ。
「テッドさん、今日はどこまでいくんですか?」
夏の巡業地に関しては合宿所に貼ってあった日程表を見ていたので、それ以外のどんなところへいけるのか期待した。なのに、テッドさんの口から出たのは「福島の郡山」。
“こおりやま”は、そんなに難しい地名ではない。好きでもない物を食べちゃって、一食分損したような気分になった。
東北自動車道を東京方面に向かって宣伝カーは走る。試合のある町や村ではなんの違和感もないんだろうけど、こうして高速道路に出ると追い越していく車という車から刺さるような視線を感じてしまう。
何しろ車体のあちこちにポスターが貼られ、屋根には看板と拡声器が乗っかっているのだ。ただでさえオンボロカーな上に、2日前には人をはねてぶつかった箇所がヘコんでいた。
そんな車が高速道路を走っていいものなのか。ノリが悪いぼくを尻目に、テッドさんは運転しながら一方的に喋り続ける。半分は業界の話なので相変わらずよくわからないが、東北プロレスの誰がどんな人なのかを教えてくれるのは、聞いていて面白い。
「運命は、ああ見えていたずら好きだから。おまえもいつかエジキになるだろうな」
「徳ちゃん(徳二郎さん)は日本武道館でも演歌歌手として歌ったことがあるんだぞ。といっても、ウチよりも大きなプロレス団体の武道館大会に呼ばれて出場した時、試合前に1曲歌ったっていう話だけどな」
「万念はデビューするまで3回ぐらい合宿所を逃げ出して実家に帰っては、そのたびに戻ってきているんだよ。あまりに練習生としての期間が長かったから、ファンの人たちに『プロの練習生』って呼ばれていたぐらいだからな。プロなんだか練習生なんだか、わかんねえっつーの、ガハハハ!」
いろいろな先輩に関する逸話を聞かせてくれたが、やはりタスケさんについて話す時が一番嬉しそうで、イキイキとしていた。宇佐川さんと同じだ。
「タスケの夢って知ってるか? 知らないよな。いつか月でプロレスをしたいって言うんだよ。俺もさ、それを聞いた時にホンモノのバカがいるぞと思ったんだけど、同時に年甲斐もなく感動しちゃったんだよな。
いいオトナが、そんなことを真顔で話すんだぜ? たとえそれが大風呂敷でもさ、こいつと一緒にやっていけば何か違う形の夢にたどりつくんじゃないかと思ってさ。それ以来だ、いろんな団体を渡り歩いてきた俺が東北プロレスに居ついたのは」
年上で、プロレス界のキャリアもあるテッドさんにそこまで情熱を傾けさせるタスケさんって、どれほどの人間的な魅力があるのだろう。残念なのは、それがまったく世の中に伝わっていないことだ。
マスクを被ったまま議員になったという奇抜な部分しか注目されておらず、本職のプロレスラーとしても脚立から落ちたり車にはねられたりで、力や技とは別のところでお客さんを楽しませている。巡業に参加していなければ、ぼくもまったく同じ見方しかできなかったはずだ。
出発して4時間ほどで、宣伝カーは郡山インターチェンジから一般道路へと出る。市内まではわりとすぐだった。
郡山には夏の巡業のあと、9月にやってきて興行を開催するらしい。その頃には、もうぼくはいないんだ。だから、この街に来るのも最初で最後だろう。
着いたらさっそくポスター貼りにとりかかるのかと思いきや、テッドさんは「それは夜になってから」という。日中は、チケットを置いてもらうところを飛び込みで探してまわった。
「グレート・タスケが郡山にやってくる! 9月15日、郡山総合体育館にて東北プロレス郡山大会を開催! チケットは大人2980円、小中学生980円で当宣伝カーにて絶賛発売中! お気軽にお声をおかけくださ~い!」
ぼくは見たことないが、昔あったチリ紙交換や石焼きいも屋さんもこんな感じで街の中をまわっていたんだろうか。声をかけてもらえるよう、車はゆっくりと歩いて住宅街を通過する。
でも、わざわざ宣伝カーを停めて「大人1枚ちょうだい」という人なんて、そうはいない。テッドさんも「一日1人でもいれば儲けもん」といっていた。
「おまえ、こういうのってムダだと思う?」
「い、いえ…」
「はっきり言っていいよ。たしかに無駄っていったら無駄だよ。でもどんなに小さい可能性であっても、一枚でもチケットが売れるんだったら俺たちはやる。
プロレスのチケットを買ってもらうっていうのは、それほどのことなんだ。そりゃあさ、ぴあとかプレイガイドに置くだけでバンバン売れていったら何もしなくていいだろうけど、今の世の中はそうじゃないからな」
テッドさんは、12年前に東北プロレスを旗揚げして3年目あたりが、飛ぶようにチケットが売れたといっていた。きっかけは、地上波のテレビ中継を持つ大きな団体にタスケさんが出場したことだった。
「あの時はテレビの力っていうのを見せつけられたよな。それまで東北の人でさえ知らなかったのに、放送された翌日に青森の三戸(さんのへ)で興行をやったらわんさか人が来ちゃってさ。みんな『テレビで見ました!』って言うんだよ」
今ではテレビでプロレスが中継されるのも深夜。ぼくらのような小学生が起きていられる時間じゃない。
スポーツ好きな男の子たちの間でプロレスの話題になるのは、野球やサッカー、相撲と比べると数えるほど。そのほとんどが、ぼくの大きさをネタにする時ぐらいだ。
テレビよりもむしろ、ゲームからプロレスに興味を持つ子たちの方が今は多い。そういう話を、テッドさんにすると「おまえ、いまどきの小学生事情に詳しいねえ」と言われてしまった。
「いえ、弟が小学生なんで、そういう話をよく聞くんです」
とっさにごまかしつつ、宣伝カーは歩いていく。そのうち、あたりが暗くなり始めた。
「そろそろいいかな。ポスター貼りにかかるか」