時は2000年代初期。インターネットが普及し始め、スマホではなく“ケータイ”だった頃、身長が180cmを超えながらスポーツが嫌いで、難しい地名を知ることが楽しみな漢字オタクの小学生がいました。あだ名は「アンドレ」。これは、そんな少年が東北の風景の中でプロレスを通じ経験し、人生を学んだひと夏の物語です。

【前回までのあらすじ】
新人がやることは練習と雑用だけではない。レフェリーのテッドさんに連れられてアンドレは初めて“営業”を経験する。プロレス興行は、選手だけでは成り立たないことをそこで学び、そしてプロレスラーとしての心構えも叩き込まれる。

プロレスを見る楽しさがわかってきた

翌朝9時、合宿所をバンで出発する。この日は階上町で試合だ。先輩の一人が「明日は青森の“かいじょう”っていう町にいくからな」と言っていたけれど、ぼくはそれが“はしかみ”を指しているとすぐにわかった。

合宿所に貼られた日程表で確認したところ、やっぱりそうだった。そのあとの巡業先も見ると…あるわあるわ、ぼくの知っている地名が。こんなにたくさんの都市や町、村にいけるなんて夢のようだ。

階上町は青森県の最東南端に位置し、太平洋に面した岩手県との境にある。全国の難しい地名の中でもAランクに入れていいと、ぼくは思っている。

バンの中で、ほとんどの先輩たちが寝ているスキをうかがって窓越しに「階上町/HASHIKAMI-CHO」と書かれた道路標識をデジカメで撮影。毎日着実にたまっていくコレクションに、ひとりニヤついてしまう。

巡業に出ると、やることは毎日同じだ。時間に追われ、練習に追われ、先輩たちの命令に追われ、そして大会が始まればセコンド業務に追われる。

2人の先輩練習生は、一日でも早くデビューしたいと頑張っている。でもぼくは、この段階になってもそういう気持ちにはならなかった。

こんなにキツいことをやり続けていれば、もしかするとリングに上がって試合をしたいと思うようになるかも…と考えてもみたが、いっこうに湧いてこない。ただただ、夏休み中の巡業に最後までついていけるだけでよかった。

合宿所で日程表を見た時に、巡業の最終日が8月22日の日曜であることを確認している。そこで「ぼくは小学生なんです」と明かして東京へ帰らせてもらえば、1週間で宿題は片づけられる。辛い練習や雑用は、それまでの辛抱なんだ。

この日は、満員にならなかった。町の大きさを考えたら人が集まるだけでもすごいと思うが、テッドさんと宇佐川さんは「100人いないな…今日は厳しいねえ」と口を揃えていた。言われてみれば、当日券売り場の前も人はまばらだった。

お客さんが少ないからと気を抜いたぼくは、また試合中に大きな体でボーッと立ってしまった。たった今、レフェリングを終えたばかりのテッドさんがリングから降り、怒った顔でぼくに近づいてくる。しまった!と思った時にはもう遅かった。

「バカかおまえ! お客さんが少ないからって気ぃ抜いてんじゃねえよ!!」

頭を小突かれたあと、右肩に手を置かれグッと下へ押し込まれる。

コーナーポストの下でぼくが気落ちしていると、後ろから誰かに背中を蹴飛ばされた。見えないお客さんが怒ったのかと思い振り返ると、そこには次の試合へ出場するべく入場してきた2人の先輩がいた。

「邪魔だからどけよ」と言わんばかりの鋭い目つき。千厩でタスケさんと闘った人だ。

「秋山~ハヤ~ト~!」

リングアナウンサーの因島誠一郎さんにコールされるや、開始のゴング前から襲いかかる。ハヤト…先輩は、ほかの選手たちと違い飛び技をいっさい出さず、ほとんどキックで攻めまくる。

人と違うことをやるのが個性につながるという、テッドさんの言葉を思い出した。ハヤト先輩は、それを実践しているのだろう。

試合が終わると、ぼくは誘導する形でついていった。そしてお客さんに見られない通路へ来たところで「先ほどは邪魔になってしまい、すいませんでした」と、頭を下げた(それでもハヤト先輩の目線より上になるが)。

ハヤト先輩は、怒ることも微笑むこともなく、いたってクールな表情で「セコンドについて試合を見ている時は声を出せ。そうやって、盛り上がるように客を引っ張るんだ」とだけ返すと、控室の扉の向こうに消えた。言われてみれば、ほかの人たちは「ロープが近いです!」とか、ピンチに陥った人の名前を呼んで激励していた。

プロレスなんて興味なかったけれど、こういう発見があるとやっぱり面白い。その意味では、以前と比べて見る楽しさがわかってきたのだろう。

だけど、それと自分がやるのは別だ。脚立の上から転落するタスケさんの姿を見たら、とてもじゃないけど同じことなどできやしないと誰だって思う。