地下にもキラリと光る逸材が

ある地下ライブの終了後、いつもお母さんらしき人と来てくれている、男の子にも女の子にも見える子から初めて声をかけられた。

「TAIGAさんファンなんです。写真撮ってください」

俺はこころよく応じ、記念写真を1枚撮った。なんだか記憶に残る子だなぁと思ったのを覚えている。その数年後、ライブハウスで背の高い子に声をかけられる。

「TAIGAさん覚えてますか? 僕も芸人になったんです」

「覚えてるよ! お母さんと来てたよね!」

その子こそが「ラブ注入❤️」でブレイクした「楽しんご」だった。

また、飲み屋で知り合った芸人に誘われ、西武線の沼袋駅近くにある雑居ビルの会議室で行われて出たライブも印象的だった。地元の友達を誘ったら3人で見に来てくれたのだが、お客さんはその3人だけだった。俺が友達を誘ってなかったら客0人だったということだ。もっと集客を頑張れと思った。

こんなライブに出る意味あるのかと思いながら、地元の友達の前でネタをやるのは恥ずかしかった。地元の友達も気を使って笑ってくれてた。ありがたいことだ。

そのライブに、俺ともう1人ゲストで出ていたのが「おっぱい先生」、後の「スギちゃん」だ。

こういうエピソードはあとあと笑い話になったりするけど、その当時はたまったもんじゃない。だが、地下ライブなんてそんなもんだ、という諦めもどこかにあったんだろう。

ある地下ライブは毎回対戦形式で、お客さんの投票でどっちの芸人が面白かったかを決めていた。正直、勝ったからといって賞金があるわけでもなく、誰と対戦したか、どっちが勝ったかなんてまったく覚えていなかった。

すると10年以上経って、その地下ライブの対戦表がネットに残っていることを知った。俺と対戦相手の芸人の勝敗が載っているのだ。

20戦くらいの勝敗表。ほとんどが聞いたことない芸人で、もうみんな辞めているんだろう。かくいう俺はというと、自慢するほどではないが、ほとんどの対戦に勝利していた。しかし、2敗していた相手を見て驚いた。

その対戦相手は「あばれる君」と「キンタロー。」だったのだ。彼らはあっという間に地下から地上に飛び出し、スターになっていった。売れていく芸人は地下にいた頃から実力があったということだろう。

テレビに出ている芸人は一握り。それ以外は地下芸人と言っていいだろう。また、バイトをしないと食えない芸人も「地下芸人」というのであれば、俺は今も地下芸人なんだろう。

俺たちは一度きりの人生で芸人という生き方を選んだ。その選択に悔いはないが、一刻も早く売れたいと思っている。

(構成:キンマサタカ)

『TAIGA晩成 ~史上初! 売れてない芸人自伝~』は、次回3/24(金)更新予定です。お楽しみに!!


プロフィール
TAIGA(たいが)
1975年生まれ。神奈川県出身。2005年『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』(フジテレビ)、2009年『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)、2009年の『あらびき団』(TBS)、2014年の『R-1』決勝進出でプチブレイク。下積み時代が続く中、2020年の『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。』(中京テレビ)、2021年の『アメトーーク!』(テレビ朝日)出演で再ブレイクの予感がする47歳。Twitter:@TAIGAtrendy