プロレスってこんなにも難しいものだったのか
そういえば、万念先輩は大丈夫だったのだろうか。反対側の控室に帰ったまま姿が見られないので心配したけれど、休憩時間明けの試合からセコンドへつき始めたので、大事にはいたらなかったようだ。
ただし意識してか、それともそう見えるだけなのか、ぼくとは目を合わせない。こういう場合、あとで謝った方がいいのか。
試合なんだから、勝ってすいませんなんて言う必要はない。とはいえ、あの決まり方は万念先輩だってアクシデントと思っているはず。ぼくが客席ばかりに気がいってしまったのも、ああいう結末を招いた原因の一つだろう。
あれこれと考えをめぐらせていると、メインでタスケさんとたろ太郎先輩を相手に大暴れするハヤト先輩と北野先輩が、いきなりぼくの首根っこをつかまえて引きずりまわした。そして、ブルーシートの上へ倒れる2人に投げつける。
ぼくは凶器代わりとして使われたのだと思った。それだけならまだわかるが、このあともさらに北野先輩が何度も蹴飛ばしてくる。
痛い!痛い!痛い!痛い!
せっかくデビュー戦では無傷のまま済んだのに、まるで「やられ足りんやろ」と言わんばかりだ。万念先輩が倒れた時と同じように、ぼくはうつぶせのまま動けなくなった。
それでも北野先輩は攻撃の手をゆるめない。なぜ試合と関係ないセコンドをここまでいじめるのか。ぼくは体育館の舞台上まで連行された。
そこでも殴られ、蹴られた。まったく抵抗できぬ中、ぼくは「これってもしかすると、万念先輩に勝った罰なんだろうか」と思った。それ以外に、やられる理由が見つからなかった。
北野先輩が、壇上から下にぼくを投げ落とす。今度は仰向けに倒れると、視線の先に黒い影が映った。
ハヤト先輩とやり合っていたタスケさんが、北野先輩につかみかかったのだ。舞台の上は、すべてのお客さんから見える位置。気がつけば、倒れるぼくのすぐ近くまで人が押し寄せている。
ぼくがひっくり返っているため、そこから前にはいかずに舞台の上を眺めていた。タスケさんに対する声援が、頭上から降ってくる。
何十秒経ったかわからなかったが、どうやら立てそうだったので自力で置き上がった。するとそこへ、タスケさんに吹っ飛ばされた北野先輩が…あっ!?と思った次の瞬間には激突!
またしても倒れたぼくの上に、北野先輩の体が乗っかっている。さらに今度はタスケさんが舞台の上から助走をつけて飛んできた。
ぼくは、北野先輩もろともプレスされた形に。お客さんは「タスケ! タスケ!」と大興奮だったが、巻き込まれたこっちはたまったもんじゃない。
その時「倒れていないで控室に戻れ」と肩を貸してくれたのは、万念先輩だった。自分よりも重いぼくをおんぶするように連れていく。
控室前の通路までくると、万念先輩は「ここで倒れていろ。回復したら、またリングサイドに来いよ」とだけ告げて先に戻っていった。結局ぼくは、メインイベントが終了するまで寝転んだまま動けずにいた。そこへ試合から引きあげてきたハヤト先輩と北野先輩が通りかかる。
「こんなとこで寝てんじゃねえよ」
そう怒鳴りながら、北野先輩がまた一発ぼくを蹴飛ばした。しかし、すぐにハヤト先輩が「やめろ!」といって止めてくれた。
倒れ込むぼくに顔を近づけるハヤト先輩。リング上と同じ、刺すような視線だ。
「おまえ、今日の試合だけど…俺は面白かったよ。全然プロレスとしてなっちゃいなかったけど本来、プロレスは殴る蹴るのケンカだ。そのうち、俺とも闘う日が来るだろうから、その時も遠慮せずに殴ってこいよな」
プロレスはケンカだと言うハヤト先輩。
プロレスはお客さんを喜ばせてナンボと教えてくれたタスケさん。
見る人たちを喜ばせるがあまり、負けてしまったら意味がない。反対に勝つことばかり考えていると、周りが見えなくなってしまう。
まったく逆のことを同時に心がけなければならないなんて、プロレスってこんなにも難しいものだったのか。その思いが、まだじんわりと残っている指先の痛みとともに染みて染みて仕方がなかった。