日本中が歓喜に沸いたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。SNSでは「侍ジャパンロス」を示唆する投稿も多く見受けられ、WBCの熱狂はまだまだ続きそうです。大谷翔平や吉田正尚、ヌートバーの活躍が注目された今大会ですが、影の立役者は栗山英樹監督であることに間違いはありません。栗山監督の素晴らしい采配がなければ、日本の優勝はあり得なかった、と言ってもいいでしょう。

そして、サッカー日本代表監督を務めた故イビチャ・オシム氏も、栗山監督と同じように選手の力を信じた監督でした。職場に新社会人が入るタイミングでもある時期だからこそ、日本代表を務めた二人の監督から指導者としての大切なポイントを探っていきたいと思います。

選手の能力をしっかりと評価して最後まで信じる

WBC開幕から不振が続いた村上宗隆。当初4番だった打順は、準々決勝(イタリア戦)から5番へと変更になりましたが、栗山監督は村上をスタメンで起用し続けました。

準決勝のメキシコ戦。大谷と吉田が出塁し、一打同点の場面で村上に打順が回ってきます。この試合でも、村上は3打席連続三振と絶不調でした。このとき、通常ならば2つの可能性が想定されます。1つ目は、村上に代打を送ること。2つ目は、ランナーが1・2塁だったため送りバンドをさせることです。

しかし、栗山監督は「お前に任せた」とメッセージを送り、村上のバッティングを信じました。そして見事、村上は値千金の逆転サヨナラツーベースヒットを放ち、侍ジャパンを勝利に導きます。

試合後の会見に出席した栗山監督は、村上を起用し続けた理由について以下のように答えました。

「本来の村上は世界がびっくりするようなバッター。僕はWBCでそれを証明したいと思ってやってきた。彼を信じる気持ちは揺るぎないものがある」

栗山監督は村上に対して「最後はおまえで勝つんだ」と言い続けたそうです。最後まで選手を信じた信念がまさに結実した瞬間でした。

▲侍ジャパンも優勝に導いた栗山英樹監督 写真:CTK Photo/アフロ

オシム氏は日本代表監督を率いる前、ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)の監督を務めていました。2003年に来日したオシム氏は、ジェフ市原の監督に就任すると、それまでは中位争いだったチームをすぐさま優勝争いに導きます。

その理由はフラット(公平)に選手の能力を評価した点にあります。

当時のジェフ市原に在籍していた佐藤勇人は、能力がありながらも控えメンバーに甘んじていました。長髪で焼けた肌だった佐藤のチャラい風貌もあったのか、過去の監督がくだした評価は低いものでした。しかし練習を通じて、オシム氏はチームにもたらす佐藤の献身性をいち早く見抜き、佐藤をレギュラーとして徐々に起用するようになります。

また佐藤だけではなく、オシム氏によって才能を引き出された、若手選手たちが次々と躍動。就任した1年目から、ジェフ市原を常勝チームへと成長させます。そして、2005年のナビスコ・カップ(現ルヴァン・カップ)でついに優勝を果たし、クラブ史上初めてのタイトルを獲得したのです。

成長を促す言葉をかける

準決勝(メキシコ戦)でサヨナラ打を放った村上選手。復調の兆しが見えたため、決勝は4番に打順を戻す案もありました。しかし、栗山監督はあえて5番のままにします。

アメリカから帰国後、あるニュース番組に出演した栗山監督は、村上の打順をそのままにした理由を答えています。

「本当は村上を4番に戻したかった。しかし村上がもっと大きくなるために、宿題を残したまま先に進んだほうが、彼の成長につながると思った」

この栗山監督の意図を十分に理解した村上は、決勝のアメリカ戦でもホームランを放ち、侍ジャパンの勝利に大きく貢献しています。

▲イビチャ・オシム氏 写真:Radiofabrik Community Media Association Salzburg

当時のジェフ市原で徐々に出場機会を確保し、チームの核となっていた佐藤ですが、忘れられない「オシムの言葉」があります。

オシム氏が就任以降、優勝争いを演じるようになったジェフ市原。優勝を引き寄せる大一番の試合に臨んだ佐藤ですが、終了間際に訪れた決定的な場面でシュートを外してしまいます。結果は引き分けに終わり、ゴールが決まり勝利していたら、優勝に大きく前進できるチャンスでした。

試合後の会見、あるスポーツ記者が佐藤のシュートミスについて質問しました。するとオシム氏は質問した記者に聞き返したのです。

「あなたは今までミスをしたことがありませんか? 人間は誰しもミスをしますよ」

「シュートは外れるときもある。それよりもあの時間帯に、ボランチがあそこまで走っていたことを、なぜ褒めてあげないのですか?」

佐藤のポジションは「ボランチ」と呼ばれ、試合での主な役割は守備になります。試合終了間際は、選手全員が疲れている時間帯です。守備を担当する佐藤がリスクを冒しながらも攻撃に参加し、チャンスを演出した勇気あるプレーを、オシム氏は誰よりも評価していたのです。

この言葉を聞いた佐藤は「全身がシビれた感覚だった」と振り返っています。オシム氏に導かれた佐藤は、このあと日本代表に選出されるまでに成長したのです。

それから、オシム氏が指導した選手のなかに巻誠一郎がいます。ある試合後の会見で、巻についてこのように言いました。

「巻はジダン(のようなファンタジスタ)にはなれない。だが、ジダンにはないものを持っている」

世界を代表する伝説的な選手を引き合いに出しながら、オシム氏は巻の体を張った泥臭いプレーを称えたのです。

優れた指導者は、自身の采配(選択)に必ず意味を持たせます。栗山監督とオシム氏には「選手の能力を的確に判断し、常に選手の成長を最優先に考える」という揺るぎない哲学がありました。