気持ち悪く描きすぎて読者にイヤがられた
自分の中の鬱屈した感情を作品にぶつけていたという伊藤。そんな彼が、漫画と向き合ううえで心がけていることについて聞いてみた。
「やっぱり、創り出す以上は毎回新しいアイデアや、新しい試みを作品に投入しなければいけない、ということは心掛けています。以前に描いたものを同じように繰り返してもしょうがないなと。なので、最近はネタが途切れるし、飽きちゃうこともある。だから短編が多いんです、長編をやる持久力がないんですね」
伊藤潤二作品に触れたのは、週刊連載をしていた『うずまき』だった。週刊連載というのは人気投票と隣合わせだ。そこを伊藤はどのように感じていたのか。
「あんまり考えないようにしてましたね。でも、不思議なことに、担当の方からそのことについて言われた記憶もないんですよね。そこまで長期の連載でもなかったし。あと、雑誌のどの辺に載ってるかにもよって、編集部の期待もわかるじゃないですか。僕はだいたい後ろのほうだったんで、あんまり期待もされていない(笑)」
そして、漫画を描くときに大事にしていることは“違和感”だと言う。
「違和感という事象をもっと細分化していくと、“もしも、こんなことが実際にあったらイヤだな”とか“なんか変だな、不思議だな”とか、いろいろあるんですよ。『グリセリド』は……あれは気持ち悪いですね(笑)。気持ち悪いものを描いて、読者に嫌がらせをしたい、みたいな気持ちが少しあったんですが、そしたら本当に嫌がられて、申し訳ないことをしました(笑)」
『グリセリド』は顔の油を思いっきり絞って、顔にかけるシーンがネットでバズったことがあり、彼の漫画を知らない人でもこのコマを知ってる人は多いだろう。本のカバーを外すと、そのコマを見ることができる。
「あれは思春期にニキビができて、自分で絞ったときの体験です(笑)。ああいう気持ち悪いのをわざと描いて、自分の中で克服したいと思っているんですね(笑)」
伊藤のこだわりとしては「トーンをなるべく使わない」という記述もあった。
「今はデジタルなんですけど、紙に書いているときは本当にトーンの作業がしんどいですね。時間もかかるし、削る作業がまた嫌いで。しかも、紙にセロファンみたいな異質なものを貼り付けるのも嫌いなんです。なんか……作品の純度が薄まる気がするんですよね。あと、糊でくっついてるから、剥がれてくるんじゃないか、という強迫観念もあって……作品を長く残したいという気持ちがあるんです」
たしかに、この本には過去の作品の原画はもちろん、漫画家になる前の作品の原画も収録されている。伊藤の物持ちの良さにも驚かされる。
「原画は言うなれば“我が子”でしょうか。絶対に捨てられないし、大事にしています」
デジタルに変わった今でも、デジタルに対する違和感はあるという。
「大変なことさえなかったら、今からでもアナログに戻りたいですね。昔は下書きが一番楽しかったのですが、今は下書きが一番しんどいです。そして、今は仕上げが一番楽しい気がします。絵が出来上がっていくのを感じられるので」
伊藤潤二作品といえば、コマ割りや構図にもオリジナリティの強さを感じる。そういった構図の影響の源流を問うと、はっきりと一人の巨匠の名前を口にした。
「大友克洋先生が大きいと思います。構図でいうと、最近欲しいなというか、ちょっとした夢なんですけど、自分が使いやすいリアルなポーズ人形が欲しいんです。じつは自分で作ろうとしていて、頭の中で設計しているんですけど、現実的には柔らかい部分は素材的に難しいでしょうし、劣化もするだろうし……。ネットでポーズさせるやつもあるんですが、操作が難しい(笑)」
やはり、独特の感性を持っている……と感じた。最後に座右の銘があるかを聞くと、即答した。
「『毒を喰らわば皿まで』。これは“罪を犯したら後戻りできないので、どうせなら”という意味らしいんです。漫画を描くことは犯罪ではないですが、ホラー漫画をどうせ描くなら、徹底的に気持ち悪く描こう、ということはいつも考えています」