第1戦は700人のサポーターが現地で背中を押した

第1戦の会場はキング・ファハド国際スタジアム。

完全アウェーのように見えたスタジアム、試合終盤に響いていたのは満員のアル・ヒラルサポーターの声援ではなく、700人の浦和レッズサポーターの声でした。自分も一緒に現地で闘いたかったからこそ、ありがとうという気持ちで家で応援していました。

現地の700人のサポーターに後押しされたレッズは、アジア最強の名をほしいままにするアル・ヒラルに押し込まれる展開でしたが、どんなに押し込まれても雰囲気に飲まれなかった選手、サポーターはさすがでした。

なかでも4年前の決勝で同じくアル・ヒラルと対戦し、完敗を味わった選手たち……西川選手、関根選手、興梠選手の獅子奮迅の活躍ぶりは凄まじかったです。

『思う一念岩をも通す』

なんて「それだけで勝てたら苦労しないよ」とプロスポーツを見てればわかっているつもりですが、気持ちがプレーにもたらすもの、迷いのないプレーぶりは4年前のあの悔しさがあったからこそだと感じました。

また関根選手とともに中盤で奮闘した伊藤敦樹選手もまた、浦和レッズの下部組織出身であり、浦和サポーターでした。

途中出場の荻原拓也選手(レッズユース)や安居海渡選手(浦和学院出身)、早川隼平選手(レッズユース)も出色の出来でしたが、彼ら5人に共通して言えるのは、過去の決勝をサポーターとして見てきていたということ。

レッズサポーター・ファミリーにとって過去のACLの記憶というのは、本当に鮮明で心が熱くなるものなんです。

過去のコラムで、全北戦は浦和の街と歴史の勝利ということを書きましたが、彼らが浦和という街で育ったことも、この試合を引き分けることができた要因のひとつのように思えます。

そして、興梠選手のプレーは36歳にして、未だ日本最高レベルのFWであることを見せつけました。あれ? でも、過去のアル・ヒラル戦ではCBに割と潰されていたよね……。「興梠でも収められないDFがアジアにいるんだ」って思ったんですよ、当時は。

そのサウジのCBコンビがW杯でボコボコにやられているのを見て「世界は広い……」と思った記憶が……。

興梠選手といえば、学生時代はやんちゃで「ろくに練習もせずに試合の日だけ来て出場していた時期もある」なんて本人も語っていましたが、シーズン前からこの試合に向けて本気で気合い入れたら、これくらいできちゃうってこと……?? 本当に底が知れない人です……。

そして、興梠選手と共に、局面勝負ではほぼほぼ勝利してくれていたのが、DFのショルツ選手と酒井宏樹選手。格上との戦いにおいて、局面でほぼ確実に勝てる場所があるということのどんなに助かることか。しかも三箇所も。

これがわかっただけでも第2戦、埼玉スタジアム2002なら勝てると思えた試合でした。

〇興梠が値千金の同点弾! アル・ヒラル×浦和レッズ ハイライト