選手に勇気と勢いをもたらす最高の応援団

「おならブッフバルト」というギャグで幾度となく笑わせてくれた父の影響で浦和レッズを応援するようになり、若干5歳で『鹿島』『磐田』など全てのJリーグチームの本拠地の漢字を読めるようになった僕は、28年のサッカー人生でも稀に見るスーパーゲームを観戦しました。

2022.8.25 ACL準決勝 浦和レッズvs全北現代(@埼玉スタジアム2002)

〇【全北現代×浦和レッズ|ハイライト】PK戦制し劇的勝利の浦和が決勝進出!

レッズの選手全員がそれぞれ自分の強みを出して好プレーを見せたかと思えば、ポゼッションで試合を支配するJリーグの強豪たちとはまた違う強烈なカウンターを見せる好チーム・全北。

レッズの選手一人ひとりのプレーに感想を書けるくらいに何度も繰り返し見たのですが、書き出したら長くなるので、今日はあえて

『浦和レッズの歴史と文化の勝利』

というところにフォーカスを当てて書いていこうかと思います。

なぜそれが『あえて』なのかというと、僕はそもそも『サッカーというのは選手が主役で、基本的に勝利は全て選手や監督、スタッフのおかげ。サポーターにできることは、その背中を押して「あと1mm、あとコンマ1秒先に足が伸びる」ように勇気と勢いを与えるくらいのもの』だと思っているからです。

選手は「サポーターあってこそのサッカー」と言ってくれますが、それも接客業でいう「お客様は神様」くらいに受け取っているので、ブーイングとかもできません。

自分では到底叶えられなかった夢の舞台で戦う選手の背中に乗せてもらい楽しませてもらっている、という価値観でサポーターをしています。

もちろん、さまざまな意見はあると思いますが、僕はそうなのです。

でもそんな僕が、勝敗に直結するほど圧倒的なサポーターの力を感じたのが2007年のACL準決勝、浦和レッズvs城南一和の試合でした。

当時、高校の修学旅行中で生では観戦できませんでしたが、あの試合……特にPK戦のときのゴール裏の景色は衝撃的でした。スタジアム中の大旗を集結させて圧倒的な雰囲気を作り出していました。世界一の雰囲気だったと思います。

「サポーターにできることは勇気と勢いを与えるくらいのもの」と書きましたが、あんなにも味方に勇気と勢いを与え、相手に恐怖を与えるサポーターは見たことがないです。

現在32歳の僕ですら高校生だったわけですから、おそらく準決勝の全北戦のゴール裏には、当時、子どもだったから現地には行けなかったけど、あのゴール裏の景色がこびりついて離れなかった人もいたと思います。

昨年の全北戦では、僕は職業柄、念のため声出しOKエリアを自粛しましたが、PK戦にもつれ込んだときに

「あの城南一和戦のようにチームを勝たせるんだ!」

と思い、今度は現場で後押しできることに喜びを感じながら旗を振った若いサポーターも数多くいると思います。

それはつまり、レッズとレッズサポーターの歴史が作った空気感で、PK戦の勝利に大いに影響をもたらしたと思います。

思えば先制点は、ボールボーイの彼が素早くボールを出して、相手の隙をつく早いリスタートをできたことが一因でした。

たまにSNSなどで見かける、チームを勝たせるためにボールをアウェイチームの選手に渡さないボールボーイが、僕は反吐が出るほど嫌いなんです。そういうボールボーイに怒る選手に関しては全面的に擁護派ですが、この試合のボールボーイの彼は、仕事を完璧にこなすなかで、チームのチャンスの糸口を嗅ぎ分けて最高のアシストをしたわけです。

ボールボーイは僕も経験がありますが、基本的に地元の学生が担当します。彼が浦和レッズがある街でサッカーをするなかで、レッズを愛してくれて、しっかりとしたサッカー脳を育んでいたから生まれたゴール。

これもサッカーが根付いた浦和の街の歴史が生んだゴールなのかな、と。

コロナ禍で中立開催が埼玉スタジアム2002になった、という幸運すぎるアドバンテージはありましたが、それをここまで活かせたのは浦和という街のサッカーの文化のおかげで、全北で開催されたとて、向こうにこんな優位性が生まれたとは思えません。

▲浦和レッズのホームスタジアム・埼玉スタジアム2002 写真:K@zuTa / PIXTA