捕手は野球というスポーツにおいて要となるポジションである。投手の投げたボールの捕球はもちろん、相手バッターとの駆け引きや味方へのサイン出し、審判とのコミュニケーションなど仕事は多岐にわたる。

もちろん、守備だけでなく、打者としての仕事もある。近年は分業制を採用するチームも多くなってきた捕手。それだけ負担の大きいポジションとも言える。今回はそんな過酷なポジションを長年務め、攻守ともに素晴らしい成績を収めた3選手をみていこう。

1990年代からヤクルトを支えた「球界の頭脳」古田敦也

21世紀初頭までトップを走っていたのは、野村克也氏の愛弟子である古田敦也だ。古田に関しては、21世紀に留まらず、平成の捕手では誰しもが認めるナンバーワン捕手と言ってもいいだろう。

持ち前の野球脳の高さで、投手陣のリードはもちろんのこと、チーム状況によって打撃スタイルを変えていたのもわかる。そのため、30本塁打でキャリア最多の86打点を記録したシーズンもあれば、本塁打は1桁で終わったものの、同様に最多である86打点を記録したシーズンもあった。

打撃面では、セ・リーグ初の捕手として首位打者(打率.3398)を獲得し、通算打率.294を記録。守っても、盗塁阻止率は歴代最高の.462を記録しており、歴代的に見てもトップクラスなのがわかる。

21世紀に入る頃にはベテランの域に達していた。2001年はシーズン中に打球を追った際、フェンスにぶつかり、左膝後十字靭帯を損傷する全治3週間の重傷を負った。この状況のなかで、首位打者に輝いた松井秀喜とタイトル争いや巨人とのデットヒートを繰り広げた。

首位打者は松井に譲ったものの、巨人の追い上げがあったなかで、シーズン終盤に復帰した古田の存在感は大きく、見事にチームをリーグ優勝に導いた。また、このシーズン36歳という年齢ながら、衰え知らずの盗塁阻止率.488を記録した。

この古田のリードによって、藤井秀悟や入来智、前田浩継はキャリアハイの成績を記録。当時ウィークポイントであった先発陣に関しては、開幕前時点で石井一久以外は計算できない状態だったが、古田のリードによって、シーズン通してローテーションを守れるレベルにまで、底上げができたといっても過言ではない。

中継ぎ・抑えは枚数が豊富だった。リリーフの高津臣吾を中心に、五十嵐亮太や石井弘寿、移籍後に復活した島田直也、河端龍、山本樹、松田慎司と7人を揃えた。ブルペン陣が崩壊していた前年度王者・巨人との差を広げられた要因は、そこに大いにあったと考えられる。

日本シリーズで対戦した大阪近鉄バファローズの長距離砲であるタフィ・ローズや中村紀洋はもちろんのこと、得点圏打率がリーグ1位を記録した磯部公一や長打力がある吉岡雄二を徹底的にマークした。この古田の徹底したリードが、シリーズの勝敗を大きく左右することになった。

また、日本シリーズのMVPに輝いたのは古田。打撃面では、チームトップの打率.500、1本塁打、3打点を記録。

守備面でも、投手陣の力を最大化させるようなリードが冴えわたった。足の故障もありながら、文句なしの活躍を見せた。古田がリードをするヤクルト投手陣は、シリーズを通してローズにこそ打率.333、2本塁打、7打点と打たれたものの、中村紀を18打数2安打、磯部を16打数0安打、吉岡を15打数1安打に抑え込んだ。

ペナントレースの戦いは長丁場のため、猶予期間のような形で中心選手の調子が上がるまで待てたが、短期決戦は復調する前に終わってしまった。さらに、投手陣の力量の差も顕著にあらわれた。チーム防御率で見てもヤクルトは2.66を記録しており、対する近鉄は5.73。

ヤクルトは、石井一以外の先発投手を長いイニングを投げさせずに、小刻みな継投策でリリーフ陣に任せる形で勝利を重ねる。フルシーズンの活躍はなかったものの、ホッジスやニューマンといった外国人投手をうまく起用した点も非常に大きかった。

攻守にわたりチームを牽引した古田の活躍はもちろんのこと、短期決戦における投手陣の重要さがわかるシリーズだったのではないだろうか。このシーズンだけを見ても、長期的なリードが必要とされるペナントレースから、短期決戦の日本シリーズまでツボを抑えたリードができていることがわかる。

安定して結果を残せる打力はもちろんのこと、球界の頭脳と言われたリードや頭抜けているスローイングからフレーミング、ブロッキングなどを含めても、古田がこの時代の捕手として最高峰ではないだろうか。

▲安定した打力と守備力、頭脳を兼ね備えた捕手だった古田敦也 写真:井上博雅/アフロ