メジャーでも活躍し日本を世界一に導いている城島健司

次は、メジャーリーグでもプレーし、2009年のWBCでは世界一に導いた城島健司だ。

城島の成長には、工藤公康は欠かせない存在だが、工藤が移籍したあとの城島はさらに成長を遂げた。

もともと打撃力と肩の強さには定評のある選手だったため、高卒3年目で打率3割を記録し、2002年には盗塁阻止率.508を記録した。高卒3年目で打率3割に関しては、城島以降は坂本勇人しか達成していない。盗塁阻止率に関しても、パ・リーグ歴代3位に入る記録だ。

工藤に鍛えられたリードを活かし、ホークス投手陣を引っ張った。その結果、日本一に輝いた2003年は打高のシーズンだったにも関わらず、リーグで唯一のチーム防御率3点台を記録。さらに、打撃面では個人タイトルこそは逃したものの、打率.330  34本塁打  119打点を記録し、シーズンMVPを獲得した。

また、翌年のアテネ五輪では、負担が大きい捕手でありながら日本代表の4番に座り、銅メダル獲得に貢献。

メジャーリーグ移籍後も、打者が不利と言われているセーフコフィールド(現T―モバイルパーク)を本拠地としながら、ルーキーイヤーに19本塁打を記録。翌年は盗塁阻止率.465を記録。これは両リーグでトップとなる成績であった。

2009年WBCでは、日本代表の正捕手として連覇に貢献した。2次ラウンドのキューバ戦では、国際大会からメジャーリーグでプレーをした経験値の高さをうまく活かした。キューバは1回一死からミチェル・エンリケス、フレデリク・セペダの連打で松坂を攻め立てる。しかし、先発の松坂大輔が踏ん張り、後続を打ち取りピンチを凌ぐ。

ただ、この回から城島は異変に気づく。キューバのサイン盗みだ。相手がコースなどを伝達していることに気づくと、松坂は試合後に「2回から(捕手の)城島さんが構えたところと、わざと逆に投げた」とコメント。キューバのサイン盗みにも動じず、松坂・城島のバッテリーはキューバ打線を抑え込んだ。

古田のような圧倒的なディフェンス力や安定感はなかったものの、古田に勝るパワーや国際大会からメジャーリーグの経験を活かした城島は、間違いなく21世紀を代表する捕手の1人だろう。