「なんでだろう〜」と歌いながら、世間の“あるある”を取り上げていくネタで一世を風靡したお笑いコンビ・テツandトモ。1998年にコンビを組み、2023年2月に結成25周年を迎えた。

多くの芸術家や俳優を輩出している日大芸術学部で出会った二人。当初はそれぞれ歌手・俳優志望だったという。2003年「なんでだろう」で日本新語・流行語大賞を受賞し、瞬く間に全盛期へと駆け上がった二人だが、当時はとにかく忙しかったと明かす。

今回はコンビ結成25周年を記念し、お互いの第一印象や芸人になったきっかけ、お世話になった立川談志師匠の話などについて、ニュースクランチ編集部がインタビューした。

▲(左から)テツ、トモ【Crunch-special-intervieW】

大学の同級生「テツがかわいそうだ」

――今年の2月でコンビ結成25周年ですね、おめでとうございます! 老若男女の誰もが知っているテツさんとトモさんに、デビューしたての人に聞くような質問をあえてぶつけてみようと思うんですが……。

トモ なんでも聞いてください!

テツ はい! なんでも答えますよ。

――ありがとうございます! お二人は大学の同級生とお聞きしたんですが、まずお互いの第一印象について教えてください。

テツ 日本大学の藝術学部演劇学科の同級生なんですが、僕は一般の試験を受けて入ったんですけど、トモは付属だったんです。最初、みんなで自己紹介をする機会があったんですけど、僕が圧倒されちゃって。高校ではみんなの前で歌ったりとか、応援団長やったりとか、目立ってたほうだったんですけど、大学に入って“え、こんなところに入ってよかったのかな”ってくらい個性の強い人ばっかりで、そのうちの一人がトモでした。

――そうだったんですね。逆に、トモさんはテツさんを見てどう思いましたか?

トモ 自己紹介のとき、テツは五木ひろしさんの『契り』を歌ったんですね。それで、僕は吉幾三さんの『俺ら東京さ行ぐだ』を歌ったんです、僕は山形出身だったので山形弁も入れながら。で、テツが言ったみたいに、賑やかな人もいればおとなしい人もいるっていう感じだったんですが、演歌を歌ったのはテツだけだったんですね。僕も演歌が好きだったんで、“歌が上手で、演歌が好きな人なんだな”っていうのが第一印象です。

それでのちのち、コンビを組んで初めてテレビに出たとき、同級生が見てくれたんですけど「てっちゃん(テツ)がかわいそうだ」とか「お前はてっちゃんに何をやらせてんだ」って感想ばかり(笑)。たしかに、同級生から見るとテツは静かな印象で、前に行って騒ぐタイプではなくて、僕のほうがみんなの前に立ってワイワイやってるタイプだったので、今やってることはちょっと逆なんですよね。

テツ そうそう。トモは前に出るタイプで、僕はおとなしめ。ちょっと引いて“みんな、おもしろいな”というような立場の存在というか。トモの第一印象になってる吉幾三さんを歌ったときも、山形の訛りも効いてて、歌も上手だし、おもしろいことも言ってるし。「うわ、 これはすげえ」「やっぱり全国から集まってくる人は違うな」って、その印象がすごく強かったですね。

▲大学時代は前に出るタイプではなかったそう

同級生の結婚式での余興がきっかけでスカウト

――お二人が芸人になったのは、結婚式の余興で二人が歌ったのがきっかけっていうのは本当なんですか?

トモ はい、27歳のときに大学の同級生の結婚披露宴に呼んでもらって。そこで二人で『サライ』を歌ったんです。そうしたら、たまたま今のプロダクションの関係者の方が披露宴にいらしてて、終わったあとに声をかけてくださったんです。その頃は、それぞれでお芝居やったり劇団に入ったりしていたので、お笑いをやるつもりはなかったんですけどね。

――すごいシンデレラストーリーですよね!

トモ そうですね、ラッキーでした(笑)。披露宴に行ってなければ、二人でお笑いやることはなかっただろうし。歌のオーディションには行ってたんですよ、『あずさ2号』とかを歌ったりして。テツは小さい頃から五木ひろしさん、僕は西田敏行さんに憧れていたので、演劇学科・演技コースを卒業してからはお芝居をしていて、ゆくゆくは役者になる予定だったんですよ(笑)。

――その披露宴にいらっしゃった事務所の方が、“この二人だったらいける”って思ったのもすごいですよね。

トモ 今もそうなんですけど、事務所にお笑い芸人はそんなにいないんです。当時は一人もいなかったですね。その頃、浅井企画でマネージャーをやられていた方が今の事務所に入られて、お笑い部門を立ち上げるタイミングだったようです。芸人を目指す人を探していたらしく、たぶん誰でもよかったのだと思います(笑)。

▲誰でもよかったと謙遜するが…現在までの活躍を見ればマネージャーの目は確かだった