先日放送されたNHK大河ドラマ『どうする家康』では、岡崎城で起きたクーデターが描かれました。岡崎城奉行・大岡弥四郎による謀反には、武田家が深く関わっており、家康の家臣たちは大きな衝撃を受け、眞栄田郷敦さん演じる武田勝頼が家康を追い詰める展開となっていました。
しかし歴史を紐解くと、このあと武田家は、織田信長と家康によって滅亡してしまいます。第21回「長篠を救え!」以降の展開となりますが、信玄亡きあとに訪れる武田家の悲劇を紹介したいと思います。
武田信玄の後継者は嫡男・義信だった
「風林火山」を旗印にしていた甲斐国の武田信玄は、中国の古典である『孫子』を愛読書にしていました。歴史上において軍略の天才ともいえる孫子は、スパイを活用することを重要視しています。その理想は「戦わずして勝つこと」です。つまり戦争をしないで、外交や謀略で勝つことを意味します。
信玄としても、やはり戦わずに勝つことが理想だったのでしょう。ドラマのなかでも「戦は勝ってから始めるもの」というセリフが用いられたり、古川琴音さん演じるミステリアスな存在・歩き巫女の千代なども、信玄の思想を表現していると思われます。
元亀4年(1573)4月12日、信玄は遠征途中の三河で病死します。信玄の家督を継いだのが、四男の武田勝頼です。しかし、勝頼の名前を見ると「信」という通字が入っていません。「信虎」「信玄」「義信」など、歴代の武田家当主や後継者候補には必ず通字が入っています。つまり、勝頼は信玄の後継者候補ではなかったのです。
武田家の後継者は信玄の嫡男であった義信でした。しかし、駿河国(今川家)との同盟継続を訴えるなど、信玄とたびたび意見が分かれます。そのため、義信は寺に幽閉され、そのまま死亡してしまいます。一説によると切腹だったそうです。このエピソードから、自分の息子よりも甲斐国の利益を優先した信玄は「忍人(冷血漢)」とも呼ばれています。
義信が亡くなったため、いわば消去法として勝頼が浮上しました。そして、勝頼が後継者に“確定してから”生まれた勝頼の長男は「信勝」と名付けられました。そのため信勝が正式な後継者となるべきで、勝頼はつなぎ役に過ぎないというのが、信玄が家臣に残した遺言だったそうです。
「父・信玄に認められなかった……」と苦悶する勝頼。執念を燃やし続けたのが、父である信玄が達成できなかった目標を実現することでした。その目標の1つになったのが、遠江国の高天神城になります。急勾配な山にある守りの堅い城になり、徳川家の最前線を固めていました。信玄も一度は攻めましたが、早々に諦めていました。戦略的にあまり重要ではなかったからです。
しかし、勝頼は高天神城の攻略に固執し続け、とうとう数年がかりで攻め落とします。天正2年(1574)の出来事ですが、第20回「岡崎クーデター」では軽く触れられている程度でした。
自信をつけた勝頼は、織田信長に対しても戦いを挑みます。天正3年(1575)の「長篠合戦」です。信長は馬防柵で守られた陣地に大量の鉄砲を配備。この罠にまんまとはまった勝頼は、信玄の遺産であった優秀な家臣たちを数多く失ってしまいました。一説によると武田軍の死者は1万人以上とも伝えられています。この敗北によって、武田家は滅亡の一途をたどるのです。
勝頼が「父を超えた」と思った瞬間
天正5年(1577年)、劣勢の状況を打開するため、勝頼は北条氏政の妹を妻として迎えます。北条氏との結びつきを強め、同じ血筋である越後国の上杉謙信と関係修復を図る意図がありました。ところが、天正6年(1578)に謙信は急死します。越後国では謙信の養子である上杉景勝と上杉景虎のあいだで、後継者争いが起こります。
この後継者争いに勝頼は介入し、両者の調停に乗り出します。最初の段階では北条氏との関係もあり、北条氏政の実弟である景虎を支持しましたが、景勝が莫大な金と領土の割譲を提示してきたため、勝頼は景勝への支持に鞍替えしたのです。
このとき、景勝は「あなたの家臣になります」と勝頼に言ったそうです。長年のライバルとして、激しい戦いを繰り広げてきた武田家と上杉家。あの信玄ですら打ち破れなかった上杉家が、武田家にひざまづいた瞬間でした。勝頼は「父を超えた」と思ったことでしょう。
しかし、この判断が致命的となりました。後継者争いは景虎が自害したことで景勝の勝利に終わりますが、結果として勝頼に裏切られた北条氏は怒り心頭、武田氏との同盟を破棄。なんと家康と同盟を結んだのです。勝頼は信長、家康、北条氏を敵に回してしまいます。
天正10年(1582)、織田・徳川・北条の連合軍に攻め込まれた勝頼ですが、それに加えて穴山梅雪などの家臣からも裏切りを受けます。天目山(山梨県甲府市)に逃げ込んだ勝頼は、このとき息子の信勝に家督を相続したと言われています。そして北条夫人、信勝と共に自害。37歳でした。これにより武田本家は滅亡しました。