書く仕事をすることでアニメのことがさらにわかる
――お仕事柄、いろんな方から話を聞く機会があると思いますが、座右の銘や、印象に残っている言葉はありますか。
氷川 座右の銘とは少し違いますが……特任教授をしていたとき、大学の講義で生徒たちによく語った学術の基本は「当たり前を疑え」です。当たり前だと思っていることには、当たり前ではなかった時期がある。必ず当たり前にした人がいる。その当たり前にする前と後で何が違うのか、ブレイクスルーやイノベーションの本質を考えることが重要だと教えています。
もう一つの学術の基本は、大学生のとき先生が教えてくれた「違うは同じ、同じは違う」です。一見「違う」と見えるものを注意深く解析して、共通の部分を見つける。逆に「同じ」だと決めつけず、違いを絞り出すようにしてみる。同じだから同じ、違うから違うと決めつけてしまうと、本質を見失うんですね。
やはり「疑い」を抱き、行ったり来たりして考え続ける、そのプロセスが大事なんです。思考停止して、当たり前を当たり前だと受け入れてしまうことは、誰かがすでに考えたことに支配されることにもつながりかねない。非常に危険だと思います。
――学生さんから「将来は書く仕事をしたい」などと相談を受けることもあるかと思いますが、どんなことを伝えていますか。
氷川 何を目的に仕事をするかですよね。そういう相談はなかったですが、もしあれば「お金を稼ぐためなら、書く仕事はやめたほうがいい」とアドバイスするでしょう(笑)。
――え!
氷川 (笑)。というのも、自分は会社に勤めていた18年弱、海外も含めていろんな人と交流をして、大変な苦労のなかでいろんな考え方を知ることができたうえで、なんとかやれていると思うからです。そういう経験値があり、かつ自分にしか書けないことがありそうなので、あえてこの仕事を選び直した特殊な事例なんです。いろんな事情も重なりましたが、60歳を過ぎてからだと遅いだろうと思い、2001年に会社を辞めて43歳で文筆専業になる決心をしたんですね。
だから、この仕事が稼げそうだから、という理由で選んだわけではない。食い詰めなかったのも周囲の方々とのご縁のもので、大変ありがたいと感謝しています。実際、会社を辞めるとき、1日の生産量、つまり文字数、1週間、1ヶ月の予定表を作り、“こういう生産性でライティングすると、月収いくらぐらい”と綿密にシミュレーションと試算をして、ギリギリ食えるラインを探りました。
――そうだったんですか。
氷川 管理職経験に基づく現実的な推進力と、自分にしかできないことを掛け合わせた結果が、今の「書く仕事」です。もう一つの理由は、書くことを仕事にすれば、アニメを作ったキーパーソンにたくさん会えると思ったことですね。多彩なキーパーソンに会うことで、アニメで明らかにされていない複合的な真実、特に「なぜアニメが面白いか」の本質がわかるかもしれないと思いました。学術で言えばフィールドワークです。
――きちんとリスクヘッジをしたうえで、自分の好きを追求された結果だったんですね。
氷川 ところが、意外な結果もわかってきました。イノベーションの前後を切り分けて何かを成した人、いわゆる「イノベーター」が驚くほど少ない。変革をし続けている少数のあとを、大勢が追いかけているだけではないかと思えてきました。“これは思っていた構造と違うな”と。それで明らかにできていない部分は残ってはいるものの「まとめ」に入ろうと思ったんです。もっと大勢で探求したほうがいいことですから、その契機になってほしいとも思っています。
「アニメの歴史を圧縮してみよう」と思った
――氷川さんは、これまでもアニメに関する著書を執筆されています。今回の『日本アニメの革新』を書かれることになったキッカケについて教えてください。
氷川 ちょうど『君の名は。』の直後くらい、2017年初頭にスタジオジブリの雑誌『熱風』で、アニメの今後についてインタビューを受けました。そのとき、アニメと特撮がバラバラに語られがちな状況に対し、問題提起してみたんですね。それを読んだKADOKAWAの井上伸一郎さんから「新書にしてみないか?」と話をいただいたのがキッカケです。
最初はその問題を書くつもりでしたが……同じ時期に「アニメ100年」だったので、日経新聞のコラム「鑑賞術」で、「日本アニメの歴史」を短期連載しました。広く一般読者向けに、『宇宙戦艦ヤマト・ガンダム』『千と千尋の神隠し』『攻殻機動隊』『君の名は。』と4回分に題材を絞りこんでみたときに、“アニメの歴史や変化を圧縮して伝えることには価値がある”と気づきました。
そして、2019年の東京国際映画祭でも、“たった3本でアニメの歴史を語る”という挑戦をしています。そのときは『白蛇伝』『劇場版 エースをねらえ!』『AKIRA』を選びました。
対象作品を極限まで減らし、アニメの歴史のなかに起きた「革命」を紐解いていくことに手ごたえがあった。そうでもしないと、若い読者がアニメの歴史に興味を抱かないと思ったこともあり、新書もそれをテーマに方向転換させていただいたわけです。
――日経新聞と映画祭が大きなトピックだったんですね。
氷川 そうですね。それと、一冊の本も映画と同じ機能を持っているとも思いました。カタログ的な情報の羅列ではなく、読み始めて読み終わるまで、起伏をもったストーリーテリングのもと、他では得られない特別なことを伝え、読み終えたあとには”これまで思っていたアニメの歴史が変わって見えるような体験 ”を与えないといけないだろうと。
――この本には「日本のアニメは海外で好評だが、海外で好評だから日本のアニメはいいのか」という話を用いた“逆は必ずしも真ならず”という言葉がありました。まさにその通りだと思います。
氷川 「この要素がウケている」で思考停止せず、「だったら、次はこういうふうに工夫して再構築しよう」など、分析して常に更新し続けてほしいのです。「日本のアニメは海外で大評判だそうですね、じゃあ投資をするから似たようなアニメをもう1本作ってください」みたいなことでは、飽きられて先細りになってしまうと思うんです。
構造化して解析することで、形式に囚われない本質が見えてくる。そこがいま不足していると考えています。現場のプロデューサーはがんばって考えていると思いますが、ビジネス、芸術、技術を統合して語れる論者も必要ではないかと。