自分の動作を意識して心を残すことが大切

日本には「道」がつく文化・武道がさまざまあります。例えば、茶道・書道・花道・剣道・柔道・合気道……などなど。

それらには、長い年月をかけて「型」ができ上がります。もちろん、それぞれに意味があるのでしょうが、伝承されるときは「型」の伝承が優先されます。

俳優の樹木希林さんが晩年に出演されていた『日々是好日(ひびこれこうじつ)』という映画では、茶道をならう女性の成長が描かれています。若いときには、その「型」を覚えるだけで、精いっぱい。「どうして、こうするのですか?」と質問しますが、先生役である希林さんはこう答えます。

「なぜだか、わからないけれど、こうするの。昔から、こうやっているの」

私はこのやり取りがとても、微笑ましく感じられました。若い人はとかく、その意味を知りたがります。仕事でもそうです。

救急の現場で、何かを指示すると、皆、迅速にそれに従います。しかし、あとから「どうして、こうするのですか?」と聞かれることもありました。もちろん、意味を知ったほうが、早く身に着いたり、効率的であったりするかもしれません。

しかし、「型」の意味を自分で気づいたときには、深い学びがあるのです。

私が尊敬申し上げている方に、黄檗賣茶流(おうばくばいさりゅう)の代表理事をされている中澤弘幸(なかざわひろゆき)さんがいらっしゃいます。中澤さんの所作は大変美しいのですが、手の動かし方について、興味深いことをおっしゃいました。

「まず、目で取って、身体で取って、最後に手で取ります」

そういった所作を茶道の「型」のなかで、お弟子さんたちは身に着けていかれるのだと思います。

私は「道」がつくものを何も身に着けていないのですが、自分の一つひとつ動作には意識を乗せるようにしています。例えば、手でコップを取って、口元にコップを持って来て、水を飲むなど、一連の動きを意識的にするのです。これは仏教の修行にもあるそうです。

ですから、テレビやスマホを見ながら、食事をするというのは感心しません。動作の意識化は「中今を生きる」ことにつながります。

一つひとつの動作を大切にすれば、過去や未来を考えている暇はできません。今という瞬間をできるだけ大切にするのです。自分の動作がおろそかになっているときは、心が留守になっているときです。

▲自分の動作を意識して心を残すことが大切 イメージ:Fast&Slow / PIXTA

例えば、扉を閉めるときはゆっくり閉めて、確実に閉まるまで、手を放しません。さっと手を放して、バターンと大きな音を立てて閉めるのは、自分の動作が途中で終わっているように感じるからです。何事も、あわてずに、ゆっくりと動きたいと思っています。

また、動作の意識化とともに、心を残すことも大切だと思います。

弓道では矢を放ったあとに、しばらく動かずにいます。まさに、残心の状態です。

救急の現場にいたときは、まさに一分一秒を争う場面もある職場でしたが、日常生活はゆったりしています。かえって、そのほうが瞬発力も出るのかもしれません。

私も新幹線に乗ろうとしているのに、遅れそうになったならば、ときには走ることもあります。

しかし、普段はなるべく時間に余裕を持って動くようにしています。寝坊してお得意様との待ち合わせに遅れそうになると、「こういうときに限って電車が遅い」など、普段は感じないストレスを抱えます。

心が焦ると、「中今」からズレが生じます。

ゆっくりと靴を履いて、ゆっくりと扉を閉めて、しっかりと鍵を閉めたら、ゆっくりと歩き出しましょう。

一つひとつの動作に意識を乗せると、心が静まります。