古代・茨城県は世界でも有数の聖地だった!?

茂木:茨城を「日が立つ」、“ひたち”と呼ばれるのも納得です。

田中:鹿島神宮はまさにその中心地で、聖地だったと思います。そして、関東は世界でも有数の人口密度で人々が集まっていたのです。

茂木:日本に大和国ができるはるか以前、神武東征以前から、東国には「日高見国」があったというお考えですね。「大倭(おおやまと)」は奈良を中心とした大和国、そして「日高見国」は東国ということですが、学会ではいまだになんなのかよくわからない、ということになっているわけですね。

田中:彼らは「日高見国」を現実と結びつけないし、考えようともしない。「日高見国」という概念をつくってしまうと、大和国が日本最初の国家だという常識にケチがついて都合が悪くなってしまうのでしょう。

大和国ができる前の時代、その前の縄文時代の東国に国家があった、ということさえも拒否しているわけですしね。縄文時代はなぜ1万年以上の長さだったのか? 縄文遺跡はなぜ東日本に90%もあるのか? そういうことをもっと真剣に考えるべきです。

茂木:縄文時代、西国にはあまり人がいなかったことは、遺跡の分布から明らかですね。鹿児島沖の鬼界カルデラ※1の大噴火など、九州の火山活動の影響もあったといわれますが、そもそも縄文の中心は関東・東北なのですね。それを裏付ける遺跡が、三内丸山を筆頭にたくさん出てきています。これからもっと出てくるかもしれません。

※1.鬼界カルデラ:鹿児島県の硫黄島(鬼界ヶ島)を中心に存在した巨大火山。縄文時代早期(約7300年前)に大爆発を起こし海底に没した。火砕流が南九州を襲い、火山灰が気候変動をもたらした結果、西日本の縄文文化に壊滅的な被害を与えた。

田中:縄文時代の東北地方はかなり暖かかった。今よりもだいぶ温暖な気候だったそうです。私は昨年、北海道の縄文遺跡群にも行ってきました。北海道にも縄文遺跡はたくさんあるのです。おそらくは発見されていないだけで、掘ったらもっと出てくるでしょう。また、北海道には「日高」という地名がありますね。日高山脈もある。北海道も東端といえますからね。

茂木:日本の本島で日の出が一番早いのは、銚子の犬吠埼か根室の納沙布岬です。地軸の傾きの影響で季節により変わってきますが、緯度の関係で銚子のあたりが最も太陽に近くなります。

田中:イザナギ・イザナミの国生み神話では、最後に本州をつくったと『古事記』にはありますが、その本州の中には北海道も含まれていると考えます。というのも、北海道の縄文遺跡は、本州のそれとまったく同質のものだからです。貝塚があり、土器や土偶も同じようにあるのです。

そのことからも、北海道の先住民はアイヌではなく縄文人であることが明白です。アイヌが北海道にやって来たのは12世紀頃で、モンゴルに追われてきたと思われます。