異文化の壁を超えるコミュニケーションを実現
――会社を辞められて、実際に通訳者としてお仕事をされていくわけですが、このときは当然、未経験で飛び込まれたんですよね。
橋本 そうです。ただ、プロとして派遣されているので、新人だからと言い訳することもできません。初日からいきなり先輩と二人で同時通訳ブースに入りました。そのときに私が意識したのは「聞こえてくる言葉は一つも逃すまい」という意気込みです。全ての言葉をキャッチして訳することができるか、自分の中での挑戦がこの日から始まりました。
もちろん、聞き逃してしまったり、「うちの会社ではこう訳す」という業界用語のトラップに陥ることもありましたが、通訳学校でスキルを身につけていたので、太刀打ちできたんだと思います。「あれ? 意外とできてるかも! 撃沈していないぞ」というポジティブな感じで、自分を俯瞰していました。今でもこの感覚はずっとあります。
――橋本さんが出版された『英語にないなら作っちゃえ! これで伝わる。直訳できない日本語』には、「鬼に金棒」=「Popeye on spinach」をはじめとして「客寄せパンダ」「鶴の一声」「逆ギレ」など、英語でどう言ったらいいのかわからない、直訳では確実に通じない、そんな日本語が伝わる表現が収録されています。これらはどのように着想されたのですか?
橋本 例えば、ピコ太郎さんが会見でおっしゃった「驚き桃の木20世紀」。通訳学校では「ダジャレは通訳することが難しいので、要点だけ伝えればいい」と教わったんですが、個人的には「本当にそれでいいのかな?」という違和感がありました。ピコ太郎さんに限らず、企業のクライアントは自社の考え方や個人の思いを大勢の人に伝えるために、わざわざ私のことを雇ってくださっている。そこにはいろんなニュアンスがあるはずなのに、要点だけでは本当に伝えたいことは伝わらないと思うんです。
タテのものをヨコにしただけで通訳になるかというと、そんな簡単な話ではない。例えば「絵に描いた餅」という言葉ひとつとっても、「餅」は海外にはないですよね。先ほど例として出していただいた「鬼に金棒」も、海外の方は「鬼ってなに? サタンのこと?」と混乱し、異文化の壁を越えられないんです。
昔は私も、文化背景まで含めて長々と説明していましたが、それだと次の文章に間に合わなくなってしまう。そこで「インパクトのある表現で、コンパクトに伝える」ということを心がけるようになりました。
――たしかに、橋本さんの通訳には端的で忘れられない言葉が多いですね。
橋本 通訳者のアシストによって、異文化の壁を取っ払うことができればうれしいです。私も幼少期をアメリカの小学校で過ごしましたが、そこで、お互いに異文化の壁を乗り越えると会話がはずんで楽しい、という感覚を身につけました。
それと同じで、ふなっしーさんの通訳をすることになったとき、事前にふなっしーの動画を見まくっていたら「ひゃっほー! うれしいなっしー!」などとシャウトしていた。じゃあ、私も通訳をする英語の語尾に「なっしー!」って付けたほうがいいよね! と思いつき、そこから、語尾に”nassyi!”を付けて英語を喋る練習をしてから本番に臨んだ思い出があります。
ありがたいのは、ふなっしーさんのファンの方々が、私の通訳を評価してくださったこと。「この通訳さん、ふなっしーを盛り上げてくれた人だ!」といったリアクションをいただき、本当にやってよかったなと思いました。『英語にないなら作っちゃえ!』の表紙に推薦文も書いてくださったんですが、ふなっしーさんの写真が、私の写真より大きく掲載されている点が気に入っています。
人に対する探究心がカギとなる仕事
――通訳者の第一人者である橋本さんを見て、こんな通訳者になりたい!と感じた方も多いと思います。そういった方にアドバイスはありますか?
橋本 英語を勉強されている方はとても多いと思いますが、まず、直訳にこだわりすぎないように、とお伝えしたいですね。あとは、受け手の価値観ですとか、異文化の壁をしっかりと意識する、ということ。通訳者の都合で訳して終わり、つまりボールを投げて終わりではなく、聞き手はどんなふうにキャッチするのか、キャッチしたボールをどんな気持ちで眺めるのか、最後まで見届けたいと私は思っています。そこまで想像したうえで、逆算して言葉を選んで訳していただけたらと思います。
それから、日本の英語学習者がよく陥る落とし穴として、正解・不正解にこだわってしまう傾向があります。そこにとらわれずに「自分であればどう表現するか」という感覚で、クリエイティブに考えてほしい。例えば「あとの祭り」を、まずは辞書をひかず、自分なりに考えてみる。そして「相手がその言葉をキャッチしたときに、どんなふうに受け止めるか」を想像したうえで、英訳を口にしてもらえたらと思います。
単語を訳して終わりではなく、あくまで会話の中で使っていくものですから、「これは過去形にできるかな?」「別の文脈で使ったときにもちゃんと通じる?」と、あらゆる角度から検証し、実際に会話の中で使えるかどうかを検証することも大切だと思います。
――なるほど。先入観や既成概念にとらわれず、まず発想してみるということが大切なんですね。現場では準備も大事なのではないかと思います。
橋本 もちろんです。いつも「準備を怠ったベテランよりも、しっかりと準備をしてきた初心者のほうが上手に通訳できる」と自分を戒めています。下準備というのは専門用語をリストアップする作業とか、参考文献をちゃんと読むとか、そういった地道な努力のことです。
――なるほど、こういたインタビューにも通じるお話ですね。
橋本 そうですね。まず、対象とする「人」に対する探究心が大事だと思ってます。通訳の現場では、突拍子もない話が出てきたり、予定されていなかった話題が展開されたりします。たとえ準備していなかった話だとしても、そのときに一生懸命、その人の話を聴く。この人は何を伝えようとしているのだろう……いま言葉が少し足りなかった気がするけど、何が言いたかったんだろう? そこを推測して訳さなければならないときもあり、その推測の精度を支えてくれるのが下準備です。
――最後に、橋本さんが思う通訳という仕事の醍醐味を教えてください。
橋本 自分とは全然違う価値観の方の話を含め、人々のさまざまな考え方を通訳者として代弁させていただく。それが醍醐味のひとつだと思います。私は小学校時代にカリフォルニアの現地校に通っていましたが、そこが私のルーツになっています。「人種のるつぼ」という言葉がありますが、その典型みたいな学校で、クラスには同じ人種が二人といなかったんじゃないでしょうか。
日本でもダイバーシティという言葉が一般的になりましたが、幼少期から私はダイバーシティーそのものの環境で育ちました。日本は非常に均質な社会ですが、私が住んでいた地域は「あなたと私は違います」という前提で会話が始まります。相手との違いを尊重しながら、その違いを楽しみ、相手に興味を持つ。これもまた、コミュニケーションの味わい深いポイントの一つではないでしょうか。
自分とは全く異なる価値観を持つ人のお話を、通訳者として代弁することもあります。そのときに自分の意見を考えることなどありません。自分を無にして、この人はどう考えているのかというその一点に興味を持ち、その方を代弁する。これも仕事の醍醐味だと思っています。
通訳って語学界のトップじゃないですけど、何かこうハイレベルな職業と捉えられがちですが、職人のようなストイックさが基本ですし、仕事の成果についてはダメ出しが出やすい世界です。しかし、私のモチベーションを支えているのは、人への関心と、その人の思いを誠実にわかりやすく伝えていきたいという気持ちです。
人と人の出会いは人生の宝物、その出会いが言葉の壁で無意味なものになってはいけない。通訳という仕事は、そんな出会いや交流をサポートできる素敵な仕事だと思っています。