大学お笑いをやってなくても活躍できる
――最近は大学お笑い出身の方の活躍が目立ちますが、お二人は違いますよね?
古市 そうなんですよ。二人とも大学は出てるから、大学お笑い出身だと勘違いされることが多いですね。僕はテニサーだったんで、まったくなんですけど。
箕輪 僕もオーラン(オールラウンドサークル)でした。
――大学お笑いには興味なかったんですか?
箕輪 大学に入ったときは、この道に進むと思ってなかったんです。芸人になるのは大学卒業くらいで決めたんですよ。工業系の大学だったんですけど、僕みたいな人間が工場で働いたら、爆発させちゃいそうだなと。研究室に入った4月の段階で、僕が使った機械が壊れたんですよ。今まで20年くらい、なんの問題もなかったやつがいきなりダメになって。
古市 4(し)? 4(よん)? 4(し)で壊れたの?
――(笑)。そんなことあるんですか。
箕輪 人工関節のゲルを作る研究をしてて、どのくらいの衝撃に耐えられるか、みたいな実験をしてたんですけど、僕が作った材料で試したら真っ黒い粉が出てきて。
古市 しかも、こいつが1年かけて作った関節のゲルって、ダーツの動きにも耐えられなかったらしいですよ。
箕輪 最後の授業は質問攻めでしたね。「つまり、1年かけて何もできてないってことだよね?」って(笑)。だから、この道は向いてないなと思って芸人を目指しました。それに怠惰なんで、結局、研究者にはなれなかったと思います。
――古市さんは?
古市 小学校の卒業アルバムには、すでに芸人になるって書いてました。本当は高卒で始めたかったんですけど、親に「頼むから大学だけは行って」と言われたんで、大学は行きました。
――だからこそ、大学時代は遊んでたと。
古市 めっっっちゃ遊んでました(笑)。むしろ、大学お笑いをやる人の意味がわかんなかったです。だって、卒業してやるんだから今は遊ぶでしょ!って(笑)。
――NSCに入ってから、“大学お笑いをやっておけばよかったな”と思ったことはないですか?
古市 スタートは遅れたのかなとは思いますけど、やっておけばよかったとは思わないですね。
箕輪 結果論ですけど、逆に遊んでてよかったなって思います。遊んでるなかで蓄積できることもあると思うので。もちろん、学生お笑いをやったからこそ、おもしろくなれるとは思うんですけど、そこまで関係ないと思いますよ。大学お笑い経験者のおもしろい人って、やってなくてもおもしろくなっていただろうし。
――お二人はオーランとテニサー出身とのことですが、どんな雰囲気のサークルだったんですか?
箕輪 僕はオーランといっても、2軍みたいなやつの集まりで、ほかのサークルに入れなかったヤツらと作ったんですよ。あんまりないと思うんですけど全員男子だったし、お酒も飲めなかったら飲まなくていいよ、みたいな珍しい雰囲気で。活動としては3人でサッカーやったりしてました。
古市 3(さん)? 足りなすぎない? フットサルもできないじゃん。
箕輪 ディフェンダーもやったし、フォワードもミッドフィルターもやったんで、そういう意味では真の“オールラウンド”なサークルでした。まあ、小学生の放課後みたいな感じでしたね。
――ニュータイプのオーランですね。古市さんのテニサーは?
古市 僕はTHEですよ。みんながイヤがるようなTHEテニサーです(笑)。芸人だと珍しいと思うんですけど、ハマノとヘンミの逸見(亮介)もテニサーのリーダーやってたらしくて、『UNDER5』の日は二人でずっとテニサーの話してました。
箕輪 その会話、横で聞いててめっちゃイヤでしたね。
――古市さんもリーダーだったんですか?
古市 やってました。
箕輪 何人いたんだっけ?
古市 1000人くらいいました。全部のテニサーをまとめてたんで。
――カリスマですね(笑)。そんな方でも後輩と絡むの苦手なんですか。
古市 そういうタイプじゃないんですよ(笑)。まわりに祭り上げられて、やらされたタイプなんで、カリスマとかではないです。
箕輪 楽屋で10億円の山内(仁平)や9番街レトロの京極(風斗)さんに「これ言え」って動画撮らされたりしてますもん。