秦氏が創設した八幡宮の神社

茂木:それにしても2万人というのは、尋常ではない数の移民の集団です。対馬海峡を渡るためにも、相当な数の船も調達したわけでしょうから、並々ならぬ努力がそこにあったはず。

彼らは何かしらの強い使命があって日本にやって来たとしか考えられません。秦(しん)の時代にあった、徐福一行の渡来のときでさえ3000人ですから、その6倍以上。これはほとんど難民、人道支援といえるのではないでしょうか。そして、それに躊躇なく呼応した応神天皇はすごいですね。

田中:応神天皇は、のちに八幡宮の主祭神(八幡大神)に祀られるわけです。それはつまり「よくぞ受け入れていただいた」という、彼ら弓月国の秦氏への感謝の意味が大きいといえるでしょう。そもそも八幡宮は、秦氏が創設した神社なのですから。

▲全国に約4万社ある八幡宮の総本宮「宇佐神宮」 写真:denkei / PIXTA 

茂木:八幡神というのは武家の神とされますが、その起源は謎めいています。もともと秦氏が大陸で祀っていた神なのでしょうか?

田中:日本にやって来て、応神天皇を神にしたことから始まっています。八幡を「ハチマン」と呼ぶようになったのは、のちの時代からで、もともとは「ヤハタ」と呼ばれていました。「八」という数字には「たくさん」という意味があります。

つまり、八幡(ヤハタ)とは、秦(ハタ)がたくさん、という意味ではないか。また、ユダヤの唯一神「ヤハウェ」の名前とも近い。

茂木:なるほど……確かに。「八幡」という漢字は当て字で「ヤハタ」の神ですね。

田中:平安時代以降は神仏習合が進み、八幡神は八幡大菩薩となり、応神天皇がなぜか武士を守る武神になりますが、これもまた非常に重要なことです。百済で苦境に陥っていた彼らを救ってくれたので、武神と考えたのでしょう。