福祉政策を充実させ、移民・難民も寛容に受け入れた結果、スウェーデンでは凶悪犯罪が急増した。2022年9月の総選挙では、難民受け入れに積極的な姿勢の左派政権が敗れている。「理想の福祉国家」とも言われたスウェーデンはどこで道を間違えたのか? 問題だらけのスウェーデンの移民政策について、博覧強記の郵便学者・内藤陽介氏が詳しく解説します。
※本記事は、内藤陽介:著『今日も世界は迷走中 -国際問題のまともな読み方-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
移民・難民の不正が問題となったスウェーデン
スウェーデンは、第二次大戦後の急速な経済成長に伴って移民労働力を積極的に受け入れ、難民にも寛容な政策をとってきました。しかし冷戦の終結以降、そうした外国人に寛容なイメージがあだとなり、「とにかくスウェーデンに行けばなんとかなる」と各地の紛争で生まれた難民たち(および“福祉のタダ乗り”目当ての外国人たち)がスウェーデンに庇護を求めて押し寄せます。
それに加えて、この頃になるとスウェーデン経済の成長も鈍化していたことから、それまで安定していたスウェーデン社会と移民・難民のバランスが一気に崩れてしまいました。
当時、特に問題になっていたのがトンデモ移民・難民の不正です。
どういう不正かと言うと、まずアフリカなど(特にアフリカが多かった)から何もわからない幼い子どもだけを飛行機などに乗せて、先にスウェーデンに送り込みます(極端な例としては、生後10カ月の乳児が一人で飛行機に乗せられていたケースもありました)。
そして、その子どもがスウェーデン政府の手で保護されて、スウェーデンの市民権を得たあとで「あの子は私の子どもなんです」と“親”が名乗り出てきます。つまり、自分も親権を理由にスウェーデンの定住権を得ようとするわけです。
この手の不正が年間2000件にも及んだため、1994年には、スウェーデン移民庁と外国人委員会は、難民の家族呼び寄せに関する規程を一部変更します。前述のような悪質なケースに対しては、あとから名乗り出た親ともども問答無用で強制退去処分にするなどの対策を講じました。
しかし、それも結局は焼け石に水でした。それほど「スウェーデンに行けばなんとかなる」と思われていたのです。
一方、当時スウェーデン国内では左派・リベラル系の移民寛容勢力が強く、“現場”の混乱を無視して「スウェーデンは移民・難民に寛容な国であるべきだ。もっと彼らを受け入れるべきだ」などと訴えていました。
1995年1月のEU加盟時にも、スウェーデンの移民・難民政策が英仏など欧州諸国の移民政策に合わせて制限されることへの反発が少なからずあったそうです。当時はEU加盟反対派にも、いろいろな意見があったのですが、左派・リベラル系の人たちは「EUは移民・難民の受け入れに厳しすぎる。あんな偏狭な連中とスウェーデンは一緒になるべきではない。EU諸国をもっと移民・難民に開放しろ」と言っていました。
本当に困っている難民や、スウェーデンで一生懸命に働いて社会に適応しようとしている移民ならともかく、単に福祉のタダ乗り目当ての外国人がこれ以上増えるのは、一般国民からするとたまったものではありません。
そうした背景もあって2006年9月の総選挙では、当時の連立与党であった社会民主労働党が、福祉国家路線への政策転換や年金資金の運用改革に大失敗したことから支持率が急落し、保守系の穏健党が97議席を獲得。社会民主労働党の130議席には及ばなかったものの、中道右派各党の合計では左派連合を凌駕しました。
穏健党党首のフレドリック・ラインフェルトが首相に選出され、約12年ぶりに保守政権が発足しました(スウェーデンでは1党だけで政権をとるのが難しいため左派・リベラル系政党と右派・保守系政党がそれぞれ連合して政権の座を争う形になっています)。
銃による殺傷事件発生率は欧州最悪レベル
ラインフェルト政権は、従来の福祉政策の一部を見直し、スウェーデン人の雇用拡大を目指して、減税や規制緩和・失業保険の削減・国営企業の民営化などに取り組みました。
しかし、移民・難民の流入制限については抜本的な改革を行えないまま、2014年9月14日の議会選挙で、ステファン・ロベーン率いる社会民主労働党主導の野党3党(中道左派連合)に比較第一党の座を奪われ敗北。退陣を余儀なくされました。
こうして保守派から政権を奪い返した左派政権は、あらためて難民受け入れに積極的な姿勢を示し、2015年には、シリア・イラク・アフガニスタンなどの難民16万3000人の受け入れを決定したのです。これらの地域からの難民は、識字率が極端に低く、またイスラム原理主義的な思想の持ち主もたくさんいました。
そのため、国民にはこれを不安視する人も少なくありませんでした。それに対して、ロベーンらは「強い国は(国外の問題にも)対処する」「私の知るヨーロッパは難民を受け入れる」「私のヨーロッパは国境に壁を建てない」などとうそぶき、「難民受け入れに否定的なヤツは差別主義者だ!」と言わんばかりの態度をとっていました。
しかし、当たり前の話ですが、スウェーデン語を習得しようとせず、スウェーデン社会の習慣・ルールになじもうとしないまま、スウェーデン政府の福祉に依存するだけの外国人が、スウェーデン社会に適応できるはずもありません。当然の帰結として、スウェーデンでは、ドロップアウトした移民・難民とその子孫による犯罪が急増します。
ドロップアウトした親を見て「俺はこんなふうにはならないぞ!」と努力して立身出世する人もゼロではないでしょうが、やはりドロップアウトした親から“犯罪者予備軍”が再生産されるケースのほうが圧倒的に多いわけです。
スウェーデンでは、銃による殺傷事件の発生率は、2000年頃には欧州最低レベルでしたが、積極的に難民を受け入れるようになってから急増し、イタリアや東欧を軽く追い抜いてしまいました。
現在では欧州最悪レベルになったうえに、北アフリカからの移民二世を中心メンバーとしたギャング団による麻薬や銃の密輸も横行しています。クルド系経済学者ティノ・サナンダジは著書で「長期服役者の53%、失業者の58%が外国生まれで、国家の福祉予算の65%を受給しているのも外国生まれの人々」「スウェーデンの子どもの貧困の77%は外国にルーツを持つ世帯に起因し、公共の場での銃撃事件の容疑者の90%は移民系」だと指摘しています。
このため、さすがに近年では、スウェーデン国内でも、移民・難民の受け入れに対して消極的な世論が支配的になってきました。
2021年11月30日に首相に就任したマグダレナ・アンデションは、新党首としての演説で、左派の“お作法”通り、新自由主義に対する福祉国家スウェーデンの勝利を祝いながらも、国内の200万人強の難民・移民に対して「あなた方が若いなら、高校卒業資格を得て就職するか、進学しなさい」「(国から経済的支援を受けている人は)スウェーデン語を学んで週何時間かでも働いてほしい」「この国では男女ともに働いて社会に貢献している」と訴えています。
ようするに「みんなちゃんと働いているんだから、あなたたちだけが福祉にタダ乗りするのは勘弁してください」というメッセージをマイルドに伝えたわけです。
しかし、銃器による死者は翌2022年9月のはじめまでに50人近くにのぼり、すでに前年1年間の犠牲者数を上回ってしまいます。アンデションは「犯罪の根源に対し総攻撃を行う」と宣言して対策を急ぐも、まったく成果が上げられませんでした。
2022年9月の総選挙は、そういう状況下で行われたわけですから、左派連合が負けるのも当然だったのかもしれません。