ヤンキースの元・大エースと共有する苦難
残念ながら、このような悲劇がヤンキースで起きるのは初めてではありません。
2015年シーズンの終盤に、2009年よりエースを務めていたC.C.サバシア選手が、同じくアルコール依存症の治療のために自主的に入院をすることが発表されました。プレイオフ直前というタイミング、対外的には飲酒で苦しんでいる兆しが全く見えなかった点、そしてファンに愛されている存在であったこともあり、野球界に激震が走りました。
このケースについても、彼のキャリアを振り返ると、数多くの苦難にさらされ、飲酒に向いてしまった理由も露わになります。2001年にメジャーデビューを果たし、そこから12年間は毎年平均214イニング、防御率3.50と紛れもないエース級の成績を残してきたサバシア選手。表向きでは所属チームに大きく貢献をし、チームメイトやファンにも愛され、特にネガティブな話は聞かれないようなクリーンなイメージを持たれていました。
しかし、後に本人が語ったように、諸悪の根源は2003年にサバシア選手の父親が亡くなったあと、「感情を感じなくなるまで飲み続けるようになった」ことにあります。そこから飲酒がすべての問題への対処メカニズムへとなってしまったそうです。
大柄なこともあり、飲酒量を心配する家族・友人からの指摘などはあったものの、騙すこと、隠すことが非常に上手になり、アルコール依存症を感じさせないように振る舞うことを覚えてしまいます。
2013年シーズン、例年同様に200回イニング以上を投げたものの、防御率は4.78とキャリアワーストの大不振に陥ってしまいます。32歳という若さながら長年の勤続疲労がついに体に蝕んできてしまい、さまざまな怪我にも対応しきれなかったことが大きい要因とされています。
ここから悲劇は加速します。2013年オフには突然、体重を18kg減らしたものの、その影響が悪いほうに出てしまい、2014年シーズンは右膝の怪我でキャリア初の長期離脱を経験してしまいます。
ここまで200回イニング登板が確実に見込めた大車輪が、たったの46回でシーズン終了。過剰ともいえるダイエットも、オフに従兄弟が心臓病で亡くなってしまい、自身の健康に不安を感じ始めたから取り組んだとのことで、この時点から徐々にメンタルの不調が表立ってきます。
三度目の正直とばかりに、2015年シーズンには体重を戻したものの、相変わらず成績は調子が上がらずに、くすぶり続けてしまいます。ただ、終盤の9月には膝に付けたブレースの効果もあったようで、上り調子でシーズン終了を迎えようとしていましたが、その頃にはアルコール依存症がもはや制御不能のレベルに。
飲酒中の大暴れなどにより妻や家族との関係が危ぶまれ、挙句にはシーズン最終日にはブルペン入りができず、私生活と野球生活に影響が出始めてしまいます。
ついには、敵地ボルチモアにてホテルの部屋で泥酔している自分に気づき、どん底を知ったサバシア選手は、そのまま当時の監督のジョー・ジラルディ氏と会い、シーズン辞退の旨を報告したとのこと。そこからリハビリへ向かい、人生を狂わせた過剰な飲酒生活にようやく終止符が打たれました。
苦しいときに支えるのが野球ファンのあるべき姿
同じような苦難に立ち向かうヘルマン選手とサバシア選手。しかし、ファンのそれぞれへの反応に相応のギャップが生まれています。
当時のサバシア選手は、プレイオフを辞退してでも自身と家族の健康を優先した勇気が讃えられ、大半のファンが早急な回復を祈っていました。一方で、ヘルマン選手の場合は例のDV事件のイメージが先行しているのか、一部ファンからは「自業自得」や「もう戻ってこないでいい」といった冷酷なコメントが散見されます。
事実は明白でないのであくまでも憶測ですが、DV事件も少なからずアルコール依存症が大きく影響をしている、と考えるのが自然ではないでしょうか。もちろん、それを盾に何をしても許されるというわけではまったくありませんが、前回の記事でも綴ったとおり、更生に向けて懸命に努力をしている過程で苦しみ続けているのであれば、我々ファンとしては最低限でもそっと見守ってあげるべきではないでしょうか。
サバシア選手は2016年には復帰し、キャリア晩年には技巧派ピッチャーに変身を遂げて大復活しました。最後まで多くのファンに支えられ、愛され、2019年には華々しい勇退を遂げました。ヘルマン選手はサバシア選手ほどの実績はなく、現状サバシア選手のようなカリスマ性こそないものの、同じくヤンキースのために尽力をしている選手です。
ニューヨークの誇りを纏う一ファンとして、ヘルマン選手の復活と健康を心より祈っております。