甲子園を沸かせた2大スター

次に挙げたいのは、2006年の甲子園を沸かせた斎藤佑樹と田中将大だ。

2010年以降は藤浪や今井、高橋といった投手の実力が図抜けていたが、2000年代はこの両投手が別格だった。

『戦略で読む高校野球』でも下記のように記載している。

とはいえ、この2000年代の投手を見ると、やはり1人で投げ抜いて優勝をした当時の斎藤佑樹は、甲子園の球史で見ても、田中将大と並んで別格な存在だった。そうした印象が、高校野球は1人のエースが投げ抜くものというイメージを作り、その後の甲子園でも(とくに2000年代後半から2010年代初頭)は1人エースの学校が定期的に注目を集めるようになった。

斎藤佑樹は、全試合全イニングとなる69回を投げており、タフさは当時も話題になるほどだった。成績を見ても、69回を投げて奪三振は78を記録。防御率1.17を記録した。

球威はもちろんのこと、落ちるボールも一線級だったことや、今井と同様に甲子園で一気に成長したこともあり、センバツ覇者の横浜に勝利した大阪桐蔭相手にも圧倒的なピッチングを見せた。

また、「ハンカチ王子」と呼ばれた斎藤に声援が飛び交うなど、メディアや甲子園の雰囲気を味方につけたこともあり、「甲子園のスター」として絵になる投手でもあった。

田中に関しては、2年生の夏で主にリリーフながらも夏2連覇に貢献し、胴上げ投手になっている。

2年生の成績は25回1/3、38奪三振、防御率2.81を記録。3年生の成績は52回2/3、54奪三振、防御率2.22を記録した。高校時点で「プロ級」と言われていたスライダーは、相手チームが対策や研究をしても打てないほどだった。

時代錯誤になってしまうかもしれないが、プロ野球での活躍を目指すなら、ある程度は1人で投げる力は必要になっていくだろう。

実際のところ、活躍している優勝投手は春夏問わず甲子園で40イニング以上投げており、そのレベルの馬力があるとプロ野球でも先発として活躍できる確率は高まっていくと見ている。

今では欠かせない存在の2番手投手

球数制限が設けられ、欠かせない存在になっているのが「2番手投手」である。

まず挙げたいのは、ダルビッシュ有を擁して準優勝になった東北の2番手として君臨していた真壁賢守だ。

当時2年生だったが、成績を見ると17回を投げて、13奪三振、防御率1.06を記録。

印象深いのは1回戦の筑陽学園戦だ。

ダルビッシュのまさかの乱調や、次にマウンドに上がった斎藤学が1アウトも取れずにマウンドを降りた。そんななかで3人目としてマウンドに上がった真壁は、7回のロングリリーフで1失点の好投を見せた。

この試合から真壁は一気に注目されることになる。サイドハンドから繰り出される140km/h以上のストレートは球威があった。

決勝で対戦した常総学院の監督・木内氏は「先発が真壁くんで、後半ダルビッシュくんに全力で投げられたら勝てなかった」とコメントするほどだった。

その夏に優勝した常総学院の2番手だった飯島秀明もサイドハンドの投手だった。前年の2年生のときはエースだったが、不調などで2番手としてこの夏を迎えた。夏の成績は22回2/3を投げ、14奪三振、防御率0.40とエースでもおかしくない成績だった。

しかし、茨城県予選では苦しみ、復調しないまま甲子園に入った。

そういった状況で、捕手の大崎と飯島は、この年の調子がよかったときの映像をチェックし、腕を下げアンダースロー気味にしたり、技術的な修正を行なうなどの試行錯誤を重ねた。

その結果、フル回転の活躍を見せ、甲子園では不調からの大復活を遂げる。

この立役者に対し、木内氏は「神様、飯島さま、あそこまでやるとはビックリだね」とコメントを残すぐらいだった。

続いては佐賀北を初優勝に導いた馬場将史だ。

この年の佐賀北は、複数人のプロ野球選手を輩出し、優勝候補の帝京や広陵に勝利して初優勝している。

佐賀北のエースナンバーは久保貴大だったが、久保が37回、馬場は36回を投げており、ほとんど同じイニングマウンドに上がり続けていた。

久保と二枚看板だった馬場は、全試合で先発を務め、防御率2.00を記録した。

この頃からエースをリリーフに回す継投策が出始めていたのもわかる。

最後はプロ入りした大阪桐蔭の澤田圭佑と東海大相模の吉田凌だ。

両者ともにエースと2番手がプロ入りしているが、澤田はセンバツで5回を投げて防御率1.80、夏は1試合完投して防御率2.00を記録した。

このレベルの投手がエースではなく、2番手に控えているのが春夏連覇を達成した大阪桐蔭の強さと言っていいだろう。

吉田に関しては、2年の夏の神奈川県大会決勝で8回2/3を投げて20奪三振を記録したが、このときのインパクトは非常に強いものがあった。

夏の甲子園を制した3年の夏は、19回を投げて防御率1.89を記録した。2年生のときほどの奪三振率はなかったものの、初戦や準決勝では好投を見せた。

また、この東海大相模も試合展開によっては、エースである小笠原慎之介をリリーフに回す運用を見せていた。