僕が上京してから実家に来た猫「きなこ」
家族が減って宮下家は静かになりました。
僕が芸能の世界に入って大阪から上京して1年、東京にも少し慣れてきた19歳の春、突然、お母さんから電話がかかってきました。
「子猫を拾った」と。
“朝、家を仕事へ向かおうとしたら、近所の公園で犬の散歩してる人たちが1か所に集まっていて、気になって行ってみるとダンボールに子猫が入ってた”とお母さんは説明しました。
お母さんの話す、ドラマや漫画の世界でしか見たことのないような捨て猫との出会いに現実味が無さすぎて、素直に飲み込む事ができませんでしたが、受話器の向こうで子猫の鳴き声が聞こえて、本当なんだと思いました。
とにかく衰弱しきっていたみたいで、お父さんとお母さんは子猫を抱え動物病院へ急いで連れて行き、いろいろ検査してもらい、なんとか小さな命を救うことができたそうです。
その後、送られてきた写真を見ましたが、小さくて可愛い長毛種の子猫でした。病院に連れて行った検査結果でわかったことは、ヒマラヤンって猫の種類で性別は男の子。推定生後2か月。
消化器官がすごい弱ってて、後遺症が残ると医師に言われたみたいです。
警察に捨て猫がいたと連絡して、飼い主を探してもらいましたが、1か月経っても飼い主が見つからず、このまま手放すと保健所へ連れて行かれることになるので、結局、宮下家で飼うことになりました。
名前は「きなこ」。
姉ちゃんがつけました。保護してからすぐ、早い段階で名前をつけてたみたいです。
名前をつけると情がわいてしまうってわかってたみたいですが、しゃーないっすよね、わかる、わかるよ、姉ちゃん。
きなこはマリアと比べるとおっとりした性格で、撫でたり抱っこし放題! されるがままの甘えん坊な性格。東京に住んでる僕は、大阪で仕事があるときにきなこに会えるのが楽しみでした。
生後2か月で、消化器官に後遺症が残る、と言われたきなこも、18歳になりました。ずっと体は悪かったけど、18年も宮下家に笑顔を与えてくれました。
きなこの命が危ない! 急いで実家へ
今年の6月28日の話です。夕方、実家から連絡が来ました。
きなこは今夜が山で、お医者さんに「次の日の朝を迎えるのは難しい」と言われた、と。
ここ数年は体調が悪かったから、ちょっとは覚悟していたけど……。さすがにその日は間に合わなかったのですが、翌日、始発で大阪へ向かいました。
それは、なんとか生きているうちにきなこに会いたい、その一心でした。
新大阪に到着して、すぐさまタクシーに乗り込みました。すると、道は朝の通勤ラッシュで激混み。やきもきした僕が「なんとか早く行けないですか?」と無理を言うと、運転手さんは「この時間はどこも混んでるからねー。遅刻しはったんですか?」と答えました。
「すみません。家族が危篤で……」という僕の言葉を聞くやいなや、運転手さんは「おっちゃんに任せとき」と勢いよくハンドル切って、これまで通ったこともないような裏道を駆使して、実家を目指してくれました。
しかも、運転手さんは急ぎながらも、僕が窓の外を見てソワソワしてる姿を気にして、
「大丈夫やで! おっちゃんこの前、競馬に勝って、いま運ええねん」
と僕にも運をお裾分けしてくれたのです。
もし、運転手さんがこのエッセイ読んでくれてたら、この場を借りてお礼を伝えたいです。本当に、本当に感謝してます。ありがとうございました。
実家に到着し、急いで玄関を開け居間へ入ると、首から下が動かなく、細く呼吸してるきなこの横で、憔悴しきったお母さんが座ってました。
「雄也、きなこが心配でわざわざ来てくれたんやね。きなこ、昨日の夜が山やって言われたのに、えらいで……ほんま」
僕の顔を見たお母さんは、優しくきなこの頭を撫でながらそう言ってました。
お母さんの言葉に「それもあるけど……」と言いかけて、やめました。
たしかに、東京から大阪まで始発に乗って、きなこに会いにきました。でも、一番長くきなこの隣にいて、一番きなこが懐いてたのはお母さん。
姉ちゃんもお父さんも仕事に行って家にいないあいだに、もしも、きなこが旅立ってしまったら……。
そのときにお母さんを1人にさせたくないな、と思ったんです。
その日の夕方、東京で仕事があったので、新幹線に乗る時間を逆算して実家を出るギリギリまで、お母さんときなこと一緒に居ました。
本当は朝までもたない、と言われてたきなこが今も生きている。すごいですよ、小さな体なのに。ほんとにすごい。