日本の貞操観念を色濃く反映した貂蝉の死

「三国志」のなかで、個人として最強の男は呂布です。史書や『三国志演義』系の物語でも同じです。

呂布の武力により董卓を打倒するため、後漢の司徒(三公と総称される三人の宰相の一人)である王允(おういん)の立てた計略が「美女連環の計」です。史書には、架空の人物である貂蝉を利用した計略は、当然ながら記されていません。

董卓と呂布がともに好色漢であることに目を着けた王允は、歌姫の貂蝉を使い、二人の仲を引き裂きます。王允に誘われた呂布は、董卓を討つことを決意します。王允が作った偽の詔で呼び寄せられた董卓は、呂布に殺害されます。『三国志演義』では、貂蝉はこののち呂布の妾となります。

吉川『三国志』の貂蝉像の真髄は、「美女連環の計」を成し遂げた貂蝉が自刃することにあります。「獣王の犠牲」になった肉体を「彼女自身のもの」にするため、すなわち貞節を守れなかった自らを取り戻すために自殺するのです。ここには、日本の戦時中の貞操観念が色濃く反映されています。

横山『三国志』も、貂蝉が自刃する場面を吉川『三国志』から継承しています。一九七〇年代の日本は、まだ貞操観念が強かったからでしょう。

呂布の男らしさを守った横山光輝

ただ、横山『三国志』の自刃した貂蝉は、安らかな表情をしています。そこには、「貞節を守れ」という圧力に屈して死んだことが微塵も感じられません。王允に報いるための命懸けの計略を成功させ、目的を果たしたという、充足感に満ちています。横山『三国志』は、自刃した貂蝉の表情により、凛としたその生き様を描いたのです。

また、吉川『三国志』では、貂蝉の死を諦めきれない呂布が、貂蝉に似た女性を「貂蝉」と名付けて寵愛するという虚構が加えられています。下邳城で包囲された呂布は、側近を信頼せず、「日夜酒宴に溺れて、帳にかくれれば貂蝉と戯れ、家庭にあれば厳(げん)氏や娘に守られて」いました。

しかし、「武将たちの戦争絵巻」としての『三国志』を目指した横山光輝は、吉川『三国志』の偽の貂蝉に溺れる呂布像を継承していません。三国一の武勇を誇る呂布が女々しければ、「武将たちの戦争絵巻」は精彩を欠くからです。

横山『三国志』は、自刃する貂蝉の凛々しさと、呂布の武勇とを完全に描きました。

日本で、三国一の美女貂蝉、三国一の猛者呂布の人気が高い理由はここにあるのです。