お笑いコンビ・かもめんたるとして『キングオブコント2013』(以下、KOC)王者、「劇団かもめんたる」では『岸田國士戯曲賞』2年連続ノミネートと、コント師としても、劇団主宰者としても評価を受けている岩崎う大。賞レースのネタを批評したnoteが話題となったことも相まって“先生”と呼ばれることも増えてきた。

そんな彼が8月に、KOCの決勝ネタを解説した『偽りなきコントの世界』(KADOKAWA)を発売した。お笑いファンはもちろん、芸人にも刺さる寸評で話題を呼んでいる。今回は、KOC優勝直後に訪れた土壇場や、高校時代の貴重な経験について話を聞いた。

▲俺のクランチ 第39回-岩崎う大-

オーストラリアに放り込まれた学生時代

岩崎う大の半生がまとめられている新刊を読んでいて、ひとつ気になることがあった。それは、彼が中学3年生の途中からの数年間、親の意向もあってオーストラリアで暮らしていたことだ。青春時代に異国の地で暮らすのは、どんな気持ちだったのだろうか。当時の生活ぶりを聞いてみた。

「言葉の壁がツラかったですね。アジア人の友達はいたんですけど、日本人の友達がいなかったので、フラストレーションが溜まっていました。住んでいるところは退屈だし、刺激がないし、自然は豊かですけど、好きにはなれなかったです。今思うと贅沢なことなんですけど、“俺はもっと漫画が読みたいんだ!”と思っていました」

ネットも発達していない時代なので、今よりも日本を身近に感じにくく「ほぼ断絶されていた」と語るう大。日本食店に置いてある雑誌や、早朝に流れる15分ほどのニュースで、日本の情報を得ていたという。日本からテレビ番組を録画したVHSを送ってもらうこともできたが、規格が違うようで、現地では見られなかった。

「あの頃の日本(1990年代中盤)って活気がありましたよね。たまに入ってくる日本の情報を見ていると、安室奈美恵とかコギャルとか、野茂英雄が大リーグに行ったり……僕と同世代の日本にいる高校生は、みんなポケベルを持っていて、“めちゃくちゃ楽しそうじゃん”って」

当時、むさぼるように見ていたのが、日本食店で(おそらく無許可で)貸出されていた『ダウンタウンのごっつええ感じ』。すでに芸人になる夢を持っていたそうだが、制作意欲は湧かなかったのだろうか。

「4コマ漫画を描いていて、学校の友達に見せていましたね。覚えているのは、友人に鼻毛を抜いてもらうんですけど、鼻毛を抜いたら体の中身が全部出てきちゃって、なぜか走り去るという漫画。それがすごく好評でした」

若干、う大が創り上げる作品に通ずるものがあるようだが……。

「2~3年前、オーストラリアで仲が良くなった韓国人と電話で話したんですけど、なんとなく日本の芸人のニュアンスもわかってくれていて。“俺がコントをすると、悲鳴が上がるときもある”と話したら、“何も変わってないじゃん”って言われましたね」

KOC優勝するも…「劇団かもめんたる」のキッカケ

オーストラリアで青春時代を送ったう大。日本への望郷の念、しかし自分ではどうすることもできなかった環境、これは「土壇場」だったのではないかと思った。しかし、う大はこう表現した。

「“あと1年で帰れる”……“あと半年だ”って……懲役みたいな感じに近かったですね。帰国子女枠で日本の大学に入れなかったら、海外の学校に行かなきゃいけない。それがイヤだったので、とにかく勉強しました」

その後、無事に早稲田大学に合格し、現在の相方・槙尾ユウスケや、小島よしおらとコントグループWAGEとして活動。2007年にかもめんたる(当時は、劇団イワサキマキオ)を結成した。そして、2013年にKOCの王者となる。

当時は、ネタ番組や勢いのあるお笑い番組も少なかった時代。“人(ニン)”を見せる機会のないコント師は「二度売れなければならない」と言われているが、10年前は、まだその名残が色濃く残っていた。う大は当時をこう振り返る。

「ちょっとイヤな空気が漂っていましたね。それまでは“KOCで優勝すれば、なんとかなる”と思っていたのに、優勝しても、“あれ? 結局、仕事来ないじゃん”って。それは誰も教えてくれなかったことだし、絶望みたいなものを感じました。全然チヤホヤもされないし(笑)」

近年は、コントで結果を残すと、本職はもちろん、他業種からもオファーが届く状況だが、時代もあってか、チャンスが転がり込むことはなかった。王者という絶頂にいたはずなのに、気づいたときには土壇場になっていた。

「バラエティ番組でバリバリ活躍できることはないにしろ、演技や脚本の仕事が勝手に来ると思っていたら、まったくなくて。劇団を始めなきゃいけなかったのは、大変だったというか、読みが甘かったというか……。当時は、何年後かに今の道を見つけられるとも思っていなかったので、“大海原に放り投げられちゃったな”みたいな感じ。どうしたらいいんだろうと思っていましたね」

2015年に「劇団かもめんたる」を始動し、徐々に評価を得ていくわけだが、立ち上げには、ある芸人の助言があったという。

「(事務所の先輩である)カンニング竹山さんと小島よしおに近いタイミングで“劇団やったら?”と言われたんですよ。話を聞きながらも“まあ、そうだよな”と思ったというか。もし、そのとき断っていたとしても、いずれやっていたんだろうなとは思います。やらなきゃいけないんだろうけど、めんどくさいからイヤで(笑)。2人に言ってもらえたことで、事務所にも話が通しやすくなったし、感謝しています」

▲KOC王者になってもチヤホヤされなかった(笑)

その後、う大は、コンビや劇団の活動をはじめ、脚本・演出家として、役者として、漫画家(2018年に小学館から『マイデリケートゾーン』を発表)としてなど、さまざまなジャンルで活躍。KOC優勝直後に感じた絶望は徐々に薄れていった。

「いろんなことをやっているのが認められてきているのかな。どこにチャンスが転がっているかわからないし、今は楽しんでやっていますね」