レロイ・ザネに俺はなる!

私すがや32歳、日本サッカーはアトランタ五輪くらいからうっすら覚えていますし、海外サッカーも2002日韓W杯以降は夜更かしして見てきました。

そうなると、もうサッカー界全体を、線で、大河ドラマのように捉えるようになってしまっています。

そんな大河ドラマにおいて、初めて日本代表が世界的強豪を複数得点差で勝利した先日のドイツ戦の夜は、2022カタールW杯からの因縁含めて、素晴らしく歴史的な事件でした。

僕が初めて見たドイツは、日韓W杯で準優勝こそしたけど、あんまり娯楽的なサッカーではなく、GKオリバー・カーンのスーパーセーブで勝ち上がっていたという印象で、その2年後のユーロ2004では、当時の僕がこよなく愛していたチェコ(ネドベド、ロシツキー、コラーなどがいて普通に大会で一番強かった)とオランダ(まだ無名のロッベンが当時は左ウイングで縦にぶち抜きまくって、世間にバレた)に粉砕されて、「ああ、これからは古豪と呼ばれるようになっていくんだろうな」という印象でした。

ただ意外なことに、さらに2年後の2006ドイツW杯ではシュバインシュタイガーやラームなど若くてうまい選手の台頭で完全に復権し、ゲルマン魂という言葉は似合わなくなりましたが、強さをみせます。そして、2014年のブラジルW杯で優勝を果たしたのです。

僕がドイツを熱心に見るようになったのは2017年末。

「おまえ(レロイ・)ザネに似てるな」

当時バイトしていたフットサル場で、お客さんによく言われるようになりました。僕はまだ若手でネクストブレーク候補という位置付けだったザネのモノマネを始め、それに伴ってドイツ代表の試合を愛着を持って見るようになったのです。

しかし、モノマネを始めて1ヶ月。ザネのドリブルを練習している最中に、左足での急加速ドリブルに慣れていない足首が悲鳴を上げました。捻挫です。

▲捻挫の瞬間をとらえた奇跡の1枚

さらにその2ヶ月後、ザネが髪型を特殊なやつに変更。僕もカツラの変更を余儀なくされました。後に知るのですが、ザネはめちゃくちゃ髪型を変えるベッカムタイプのおしゃれ番長でした。

そして僕が、全身ザネセットとカツラをツーパターンを揃えて、万全を期してドイツ代表を応援することを決意したロシア出発寸前のことでした。

ザネが、サプライズ落選しました。

▲レロイ・ザネ落選を聞いたレロ似・ザネ
▲ロシアに到着したレロ似・ザネ

現地で僕を見たドイツ人は

「お前には4年後があるよ!」とか

「4年後、頼むぞ!」

と、声をかけてくれました。俺もそう思っていたよ。4年後はドイツのエースになっているであろうザネをサポートするんだと。そんなことを思っていたら、まさか初戦で日本と対戦するとはね!!!

ちなみに、日本戦のピッチにザネの姿はなく、観客席にもモノマネ芸人『レロ似ザネ』姿はありませんでした。

そんなこんなでこんなに愛着が湧いたのに、とことん縁がなかったザネの試合を見るという目標は、今夏のバイエルン・ミュンヘンVSマンチェスター・シティのジャパンツアーであっさり消化されてしまいました。いったん僕とザネの歴史はひと段落したかもしれないし、もしかしたら今後も続くかもしれませんが、代わりにW杯で生まれたのが日本とドイツの因縁です。

僕はW杯の組み合わせが決まってから、ドイツに勝利するために、自分の視聴環境で見られるドイツ代表の試合は全て穴のあくほど見ました。いや、その努力、遠藤保仁選手のPKにブーイングくらい意味ないよ。(遠藤選手はブーイングに全く動じない)

そして、僕のネタ帳にはドイツを倒すための布陣や交代案、ボールの動かし方、プレスの回避方法など数ページに渡りびっしりと記載されています。おまえはネタ帳をなんだと思ってるんだ。(ただ、なんでかわからないけれど、W杯前に僕がドイツ対策をびっちりと喋る時間が、よしもとのライブであった)

そんなこんなで、内田篤人さんがDAZNで「3バックじゃないと無理だと思う」と言っていたのを見ても、「でも俺は4バックでいく!」と勝手に心に決めてカタールに飛び立ったのでした。

いや、決めてっていうか君が決められるのは、旅行に使うバッグの数くらいなのよ。布陣は君の手のひらにないのよ。

そしていよいよ決戦です。実際にW杯で対戦したドイツは恐ろしく強く、前半の45分は僕のサッカー観戦史上、最も長い45分でした。

▲2022カタールW杯の日本VSドイツも観戦

それでも日本は我慢強く戦い、0-1の1点ビハインドで前半を終えます。後半から3バックにすると、数少ないチャンスをものにする、という弱者が勝利するための必要条件を満たして奇跡を起こしたのです。日本すごいし、内田さんすげぇ。