大人気パティスリー「DEL'IMMO(デリーモ)」のパティシエ、ショコラティエを務める江口和明。こだわり抜いた絶品スイーツが楽しめるデリーモの人気はもちろん、近年は常識に捉われないプロならではの手抜きテクニックを紹介するYouTubeやレシピ本も、そのわかりやすさから反響を呼んでいる。

理論でお菓子作りを学んだという江口は「ほかのパティシエと違ってレシピはデータで作る」という。そんな江口のルーツについて、ニュースクランチ編集部がインタビューした。

▲江口和明【WANI BOOKS-NewsCrunch-Interview】

兄弟で「すいとん」を作っていた幼少期

――お父さまは和食の料理人、お母さまは栄養士とお聞きしたのですが、「食」に関わる職業への憧れはご両親の影響もあったのでしょうか。

江口和明(以下、江口) それはないと思います。子どもの頃はずっとなりたいものがなかったので、「将来の夢は?」って聞かれたときは、とりあえず「野球選手」って答えてました。

――幼少期の江口さんにとって、ご両親が食に関わる仕事をしていることが特別なことではなかったんですか。

江口 料理人の世界は厳しかったので、父は毎日帰りが深夜1~2時くらい、母も遅くまで働いていたので、じつは両親が食事を用意してくれるって、ほとんどなかったんですよ。だから、僕は兄と毎日ふたりで小麦粉と水をこねて「すいとん」を作って食べてました。

でも、兄と「今日の味付けは砂糖醤油にしてみよっか」とか「いつもより少し長く煮込んでみよう」とか話しながら作るのが楽しかったんです。だから、親が料理人といっても、家ではそんなにこだわった料理は食べてなかったんです。

――では、両親から料理を教わったこともなかったんですか?

江口 なかったですね。だけど唯一、包丁の研ぎ方だけは父から教わりました。たまに父が夜8時とかに帰って来ることがあって、そのときはご飯を作ってくれたんですよ。そういうときも包丁を研ぐところから始めるくらい、こだわりが強かったので。

――毎日忙しく働く両親を見て、むしろ料理に関わる仕事は避けたいとは思わなかったですか。

江口 他の家と比べることがなかったので、それが職業関係なく当たり前だと思ってたんですよ。僕自身、それを不幸とも思ってなかったし。だから、こういう仕事をしたくないとも思ってなかったですね。

▲唯一、包丁の研ぎ方だけは父から教わりました

パティシエを目指したきっかけはモンブラン

――そんな江口さんがパティシエになろうと思ったきっかけは?

江口 中学生くらいのときに、母親が谷中霊園の近くにできた「イナムラショウゾウ」のモンブランを買ってきてくれたんですけど、それが本当においしくて衝撃的だったんです。それで自分も作ってみたいと思い、高校を卒業したら専門学校に行こうと決めました。

――そのモンブランに出会うまでは、スイーツにも興味がなかったんですね。

江口 興味なかったですね。短パンで池に行ってブラックバスを手づかみで獲るとか、自転車に乗って坂をどこまで手放しで漕げるかとか、そんなことばっかりしてた小学生だったので。台東区出身なんですけど、僕が住んでいた地域だけ地方の村みたいなところだったんですよ(笑)。

――わんぱくですね(笑)。ショコラティエとして有名な江口さんの最初のきっかけがモンブランというのも驚きでした。

江口 当時は「ショコラティエ」って言葉もなかったと思うんですよ。だから、最初は漠然とパティシエになりたいなって。ショコラティエになったのは、僕の中でパティシエよりショコラティエのほうがかっこよくね?って思ったからです(笑)。とはいえ、ショコラティエってどうやってなるかわからなかったので、とりあえずチョコレート店を転々としてました。

――専門学校卒業後から、チョコレート専門店で修行を積まれたと。

江口 いや、最初は「フランセ」に就職したんですよ。学費のために借りていたお金を返すために、とにかく稼がなきゃいけなかったんです。だから、ほかに比べて給料がよかったフランセに。だけど、そこでは雑用ばかりをやっていたので、1年半くらい働いたとき、他のお店にいる同世代と比べて自分が何もできないことに気がついて転職しました。そこからですね、チョコレート店ばかりで働き始めたのは。

――「デルレイ」にもいらっしゃったんですよね?

江口 そうですね。「フランセ」のあと何社かチョコレート専門店を経験してから、デルレイに入社しました。デルレイが銀座の本店の裏に、デル・レイ・カフェ・デ・デリスっていうレストラン事業を立ち上げたんですよ。そのあともNOKA、ベルベリー、モトヤマミルクバーとか、チョコレートじゃない事業をいろいろ始めて。

その立ち上げに携わっていました。事業の立ち上げはそれまで経験していなかったような仕事だったので、すごい大変だったんですけど、いい経験になりました。その次に入ったのが「グローバルダイニング」です。グローバルでは経営企画の部署にいたので、いろんな店舗の数字ばかりを見てましたね。