2023年夏の甲子園で優勝した慶應義塾高等学校。ニュースなどでも取り上げられましたが、私たちが想像するような根性一辺倒な練習風景、いわゆる体育会的な怒声や、上級生から下級生に対する威圧的な言葉もなく、自由な髪型も含めて“新しい部活動の姿”がそこにはありました。彼らをサポートしたメンタルコーチの吉岡眞司氏が、勝利につながった「脳を上手にだまして、“ここ一番”に強くなる方法」を紹介します。
※本記事は、吉岡眞司:著『慶應メンタル -「最高の自分」が成長し続ける脳内革命-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
「筋弛緩法」で緊張はコントロールできる
慶應義塾高等学校野球部は、練習後に筋トレやミーティングなどが行われる日もありますが、朝から晩まで野球漬けという感じではありません。放課後になると、部員はグラウンドにゆっくりと集まってきます。練習前から皆が笑顔です。練習が始まってからも彼らの笑顔が絶えることはありません。
塾高の野球部員は5つのことを実践しています。
- ポジティブな言葉がけ
- 一点凝視法
- 筋弛緩法
- 視点を変える
- No.1ポーズ
いずれも、脳をセルフコントロールする方法で、“ここ一番”で実力以上の能力を発揮してゴールに到達させる、大脳生理学と心理学に裏付けられた“脳からアプローチして心をコントロールする”メソッドです。
今回は、[3]筋弛緩法と[5]No.1ポーズを紹介します。人間は誰しも緊張をします。緊張をしない人間はいないといっていいでしょう。緊張は誰にでも起こりうる自然な現象です。
2023年夏の甲子園、慶應の3回戦の相手は広陵高校でした。3-0から1点ずつ返され、3-2で迎えた7回。投手は小宅雅己くんから鈴木佳門くんに交代しました。1死2、3塁になり、主軸を迎えたときは手に汗を握りましたが、同点に追いつかれたものの後続を断ち切ったことが、その後のタイブレークの劇的な勝利につながったといえるでしょう。
この大事な場面、マウンドに上がった鈴木投手の緊張はいかばかりだったのでしょうか。心や体が張り詰めた状態=緊張です。普段は交感神経と副交感神経が適度なバランスで釣り合っていますが、不安を感じると交感神経が優位になります。その結果、筋肉が緊張したり、あるいは鼓動が速くなり汗をかいたりと、体が反応を始めます。
ベテランのプロ野球選手でも緊張するのです。ましてや10代の若者ですから、経験したことのない大舞台に緊張しないはずがありません。
緊張して自分の体がこわばってしまったときに有効なのは、体から力を抜くことです。でも、無意識のうちに入ってしまった力を抜くことは、簡単にはできません。一方、意識をして入れた力は簡単に抜くことができます。
そこで、知らず知らずのうちに力んだり、体に力が入ってしまったりしたときは、拳を握ったり、眉間にシワを寄せたり、体のどこでも構わないので、意識をして一旦力を入れてから抜くようにすると、無意識に入った力も合わせて抜くことができるのです。
県予選から塾高の選手は、この方法で試合中に何度か緊張をほぐしていました。緊張はコントロールできるのだと一度知ってしまえば、どんな困難な状況になろうとしめたものです。
緊張は集中力が高まっている証拠でもあります。どうでもいい場面で緊張することはありません。本能的に「ここが試合を決める場面だ」「打たれたらイヤな相手だ」と思ってしまうから緊張するんですよね。
そんなときこそ、一旦立ち止まって気持ちをリセットする。塾高の選手たちは、ここぞという場面で緊張と上手に付き合えたからこそ、素晴らしい結果を出せたのだと思います。
脳に最高の状態を想起させる「No.1ポーズ」
試合中、塾高の選手は頻繁にあるポーズを行っていました。ニュースにもたくさん取り上げられたのでご存じの方も多いかもしれません。
彼らがやっていたのは、3本の指を立てるポーズ(3点ポーズ)で、ヒットで出塁したときや、守備のタイムで内野陣が集まったピンチのときに、このポーズをとって気持ちを高め合っていました。
私が教えるスーパーブレイントレーニングでは、No.1ポーズと呼んでいます。かつて、駒大苫小牧高校が甲子園で優勝した瞬間、選手がマウンドに集まって人差し指を天に向かって突き上げたポーズが話題になりましたが、あれもNo.1ポーズです。
彼らは全国の頂点に立ったあのシーンだけ、No.1ポーズを繰り出したわけではありません。最初はチーム内のあいさつのポーズのひとつに過ぎませんでした。たとえば、朝、学校で「おはよう」のあいさつをするとき、伝令がマウンドで監督の言葉を伝えるときなど、心をひとつにするという意味も込めて、みんなでNo.1ポーズをやっていたと言います。
常日頃から自分たちの目標と目的を想起し、プラスの感情を引き起こすポーズとして使われているのが、No.1ポーズなのです。
No.1ポーズとは、自分の一番いい状態を思い出すための引き金となるものです。ということは、必ずしも人差し指を突き出したポーズである必要はありません。
私と一番密にコミュニケーションをとっていた3年生の庭田芽青(めいせい)メンタルチーフは、あるインタビューで「自分がどのようなプレーをしているかや、決勝の舞台などをイメージし、本番で平常心を保てるようにメンタルを整える時間を提案した」と語っていました。
そのなかで生まれたのが3本指のポーズだったのです。
まるでフレミングの法則のような指の形ですが、これはかつて在籍していた学生コーチが数字の3を示すとき、普通とは違った指の形をするのが面白く、気がつけば部内で浸透していたものだといいます。
このチームで取り組んだことのなかでも、勢いに乗りたいときやピンチのときに落ち着きをもたらす「No.1ポーズ」の導入は、とても重要なものだと考えていました。そこてチームで浸透していた、この3本指を広げるポーズが採用されたのです。
ヒットを打った塁上で、このポーズを行う塾高の選手の映像がテレビで繰り返し流れていましたから、「あのポーズにはどんな意味があるのか?」とずいぶん話題になりました。
このポーズをいつ、どこで行うか、という決まり事は何ひとつありません。ヒットを打って出塁したとき、守備のタイムを取って内野陣が集まったとき、選手たちが出したいタイミングで、いつでも自由にポーズをしています。大事なのは、とてもいいパフォーマンスができたときなど、ポジティブな精神状態のときにこのポーズを繰り返すことです。
このポーズを繰り返す目的は、3本指のポーズをしているときは、調子がいいと脳に覚えさせることにあります。ツラいとき、苦しいとき、このポーズが無意識に出るようになればしめたもの。試合でピンチの場面でこのポーズをすることで、脳が勝手に前向きな精神状態を作り出してくれるからです。
それと同時に、自分たちがどんな目標や目的のもとにつらい練習をしているのか、自分たちの原点を思い出させる効果もあります。
キャプテンの大村くんはインタビューで「No.1ポーズは自分たちを勢いづけてくれる、そして自分たちのエンジョイベースボールを象徴するようなポーズだと思います」と答えていました。
彼らの野球が頂点に輝くために、No.1ポーズは欠かせないものだったのです。