イタリア人の好意を断ると大変なことになる

イタリア人のこうした「介入主義」には良い側面もあります。

毎日のように他人を気にしているので、何か困ったことがあると「これはこうしろ」「これを食べろ」と、いろいろと気を使ってくれるのです。

先述したように、聞いてもいないアドバイスの羅列とお勧めの嵐。人によっては、いきなり机の上にドスン! と大量のオリーブオイルを置いて去っていきます。こうした行動は良い悪いという話ではなく「俺はこれがお前にいいと思うんだよ。だからこうしろよ」というだけの話です。

家庭の不幸でもあれば、根掘り葉掘り聞いてくれます。若い人でも日本の田舎にいる噂好きのおばさんのようなので、寂しいと感じることはありません。

▲イタリア人の好意を断ると大変なことになる イメージ:Efurorstudio / PIXTA

ただし、そこで「私はこれはいらない」「あなたはそうかもしれないが、私はこう思う」などと反論したら大変です。

イタリアでの好意の拒否や断定的な意見の表明は、相手の拒絶を意味します。

さらに相手の人格だけではなく、誇り高きイタリア文化を侮辱したことと同等の扱いにもなります。その瞬間から自分は相手の敵になり、周辺の人々から集中砲火を受けてしまいます。親切心の裏返しは、嫉妬と恨みと怒りです。

イタリアは情が深い社会ですが、その一方で、嫉妬と怒りもすごく深い。愛の反対は憎しみだとよく言われますが、他人に興味をもつことは、それだけ愛が深いということの証明なのです。

だからこそ、裏切られたときの憎しみはとてつもなく深く、仕返しはその何倍にもなります。映画『ゴッドファーザー』で、マフィアのメンバーが車ごと爆破されるシーンがよく出てきますが、イタリア人の「他人叩き」の根源は、まさにマフィア社会のような義理人情によるつながりの強烈な裏返しと言えるでしょう。