最近では、オペラ歌唱がユネスコ無形文化遺産に登録されたイタリア。旅行で行ってみたい国ランキングでも上位に位置し、サッカーや料理でも日本人にとって馴染みが深い国だろう。芸術やファッションなども含めて情熱的なイメージがあり、実際に情が深く親切なイタリア人だが、その反動からくる「他人叩き」は日本よりも怖かった。IT戦略コンサルタントで元国連専門機関職員の経験を持つ谷本真由美氏に、イタリア人の特徴を聞いた。

※本記事は、谷本真由美:著『不寛容社会 -「腹立つ日本人」の研究-』(ワニブックスPLUS新書:刊)より一部を抜粋編集したものです。

ファッションに興味がないことは許されない

私が働いていたイタリアの職場には、技術的に素晴らしい人、知能的に優れている人々がたくさんいました。しかし、仕事に熱心なあまり、ファッションやオシャレな活動には興味がない人もいました。

彼らの服装は、会合などのカンファレンスでもらったTシャツ、足下は運動靴と、スティーブ・ジョブズのような格好です。

イタリアの一般的な人たちが大好きなサッカーや宝くじにも興味なし。バカンスは、これまたイタリア人の大好きな滞在型リゾートには行かず、遺跡を見に行ったりします。ほかのイタリア人が日焼けサロンに行くのを遠目に眺めながら、「自作PCのメンテナンスが忙しいんだ」などとサラっと言ってしまうような人たちでした。

しかし、そういう「わが道を行く」的な個性的な態度は、一般的なイタリア人には許されないことだったようです。

毎日のように「あいつの髪型はおかしい」「Tシャツを着るなんて、エレガンスさのカケラもない」「ジーンズの色が変だ」と、さまざまな人が入れ代わり立ち代わり、仕事そっちのけで延々と彼らの悪口を言っていました。

オフィスでも悪口、朝10時と昼食と午後3時頃に行く飲食店でも悪口……。延々と「芳しくない服装の人」「机が美しくない人」「詩を語らない人」「イビサ島を良いと思わない人」の悪口を語り、「あいつはだからダメなのだ! おかしいだろう!」と大げさなジェスチャーで表現します。

▲ファッションに興味がないことは許されない イメージ:ZoomTeam / PIXTA

その大ぴらな感情の開放性にも驚きましたが、罵詈雑言の豊かな語彙表現、俳優も真っ青な表現力に圧倒されていました。

私は他人を観察したり、悪口を言うことより、当時はネットワーク技術やセキュリティの勉強に精一杯。かつ趣味のヘビーメタル音楽の収集も多忙でしたので、よくそんなに観察する暇と熱意があるなぁと呆れるほどでした。

とにかく他人の生活に介入したがる

イタリア人は悪口を言うのに多忙なあまり、仕事のメールは放置、約束は忘れることが日常茶飯事です。それだけ他人に興味があり、他人の生活に介入していないと気がすまないということなのです。

例えば、私が職場の机でカップヌードルを食べていると

「それはなんだ?」
「ルパンに出てくるやつだろう?」
「ジャポネーゼ(日本人)はそれを毎日食べるのか?」
「なんでそんなものを食べるのだ?」
「そんなものを食べてないでバール(カフェ)でパニーノを食べてこい」
「そういえば、この前に行ったあの新しいバールのパニーノは良かった」
「ちなみにあそこのバリスタは俺の従兄弟の友達だからな」

「ところでお前、バールに行ったあとはサッカーくじを買うんだぞ。それは、ほら、習慣なんだよ、幸運な人生のための。何? 買ったって? よし、お前はだんだんイタリア人になってきた。その調子でイタリア語ももっと頑張って早く家庭をもつように。そのためにはセクシーな服を着ないとダメだ。だからエステとネイルは必須だ。車もいいのにしないと。いい車とはアルファロメオだ。あれは美しい。俺の家族はみんなアルファだ。ドイツ車? あんなものはダメだ。そもそもドイツは美も何もない。だいたい奴らはナチだからな、ナチ」

「ところでイタリア人になることについてだが、いいか、カプチーノは朝だけだ。朝はライスとピクルス? そんなものはダメだ。イタリア的ではない。いいか、カプチーノとビスケットと決まっているんだ朝は。ライスなんて重すぎるから病気になる……」

などなど――イタリア人と話していると、ありとあらゆる介入が始まり、延々と「これをやれ」という話になっていきます。