じつに4割を超えているという“40歳役職なし会社員”にとっての人生攻略法! 人生の折り返し地点に立ち、自分を諦めていませんか? 働く意味は自分自身で変えられます。「心=人格的成長」につながる秘訣を健康社会学者・河合薫氏の目線から学んでいく。

※本記事は、河合薫:著『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか -中年以降のキャリア論-』(ワニブックスPLUS新書:刊)より一部を抜粋編集したものです。

左遷の経験がない人はほとんどいない

会社員生活では自分で決めたくとも、決断を会社に委ねなくてはならない、上司の専権事項になっているルールがあります。「人事権」です。

会社員にとって社内人事は最大の関心事で、誰それが栄転だの外されたのだと大いに盛り上がります。暗に自分が“上”とつながっていることを匂わすために、ウラのウラまで読もうとする輩もいるなど、そりゃあもう大騒ぎです。

以前、『左遷論』の著者・楠木さんと対談した際に「会社員で左遷を経験しない人なんてほとんどいない」とおっしゃっていました(日経ビジネス特別対談『いつか、あなたも必ず「飛ばされる」』)。

「人事は業務上の必要から、空いているポストに人をあてはめるというのが基本なので、どうしても本人にとって意に添わないことになりがちだ」と。左遷であるか否かは本人の受け止め方次第です。“ここは自分にふさわしい部署や役職でない”と思うと、たとえ横滑り人事でも左遷になってしまうのです。

評価というのは実に厄介な代物です。評価は「自分以外の誰か=他者」だけではなく、自分自身でもしており、たいていは自己評価を高く見積もっています。楠木さんの感覚では、自己評価は3割増だとか。このような心の動きは「平均以上効果」と呼ばれています。

自己評価と他者評価のギャップが左遷の正体であり、ひとたび「左遷」という言葉が脳裏をよぎるとやる気が失せます。しかし一方で、左遷は自律性を手に入れる最良のチャンスです。

「左遷された」と腐るのではなく、左遷されたときこそ、自分が考えたやり方で目の前の仕事に没頭すれば、自律性が強化されます。その先にあるのが「人格的成長」(詳細はのちほど)、自分をあきらめない力です。

▲左遷の経験がない人はほとんどいない イメージ:mits / PIXTA

誇りを持って働く人の尊さを学ぶ

私がバイブルとしている一冊、『WORKINGW』(1972年刊行/邦訳『仕事!』晶文社)には、自律性が「働く人の言葉」で見事に描かれています。

「これは仕事についての本である。まさにその性質上、暴力について――からだ的にも精神的にも――の本だ。胃潰瘍についてでもある。けんかについてでもあり、ののしりあいのことでもある。(中略)なによりもまず(中略)日々の屈辱の本だ」

この刺激的な文章で始まる本の著者はスタッズ・ターケル。さまざまな職業を経て、ラジオ・パーソナリティーやテレビ番組のホストとして活躍し、後に「オーラル・ヒストリー」と呼ばれる独自のインタビューのスタイルを確立していった人物です。

ターケルは、ヒッピーが登場し若者が働かなくなったアメリカで115の職業、133人の普通の人々にインタビューし、働く普通の人たちの「語り」を一冊の本にまとめました。ターケル自身の思いが語られているのは前書きだけなのですが、これがまた実に巧妙で。「働く」という行為の深いところまで考察した文章がすばらしいのです。

「もちろん数こそ少ないが、じぶんの日々の仕事に魅力を発見しているしあわせなものもいる。(中略)仕事そのものというよりはむしろ、その人の人柄が感じられはしないだろうか? たぶんそれが正しい。でもそこにも共通する性格がある。賃金以上の、それをこえるりっぱな仕事をしようとする意志だ」

その一人が、高級レストランのウェイトレスのつらさを克明に語ったドロス・ダンテです。ダンテは高級レストランに来るお客たちが、ウェイトレスである自分に向ける”まなざし”に我慢できない。それでも彼女が毎晩無事にウェイトレスの仕事を務め上げられるのは、自分が磨き上げたウェイトレスの腕への誇りです。

「皿をテーブルに置く時、音ひとつたてないわよ。グラスひとつでもちゃんとおきたいのよ。客にどうしてウェイトレスなんてやってんだって聞かれたときには、『あんた私の給仕をうけるのにふさわしいって思うってわけね?』って、逆に聞いてやるのよ」

これが「自律性」。誰に命令されたわけでも、音を立てるなとクレームがあったわけでもない。ダンテがダンテでいるための「仕事の誇り」です。

「お客さんも私を指名するのね。じっと(私の手があくまで)待ってくれる人もいるのよ。疲れる仕事よ。神経も使うし。本当に我慢のしどおしよ。でも、みんなに満足してほしいの」(『WORKING』より)

ダンテはただのウェイトレスではありません。唯一無二の「ドロス・ダンテ」です。かつて、リチャード・M・ニクソンは「労働記念日」に次のようなメッセージを残しました。「労働はそれだけで善であり、男も女も働くという行為のおかげで、よりすぐれた人物になる」と。

しかし、現場で日々葛藤するダンテの語りは、それが逆であることを教えてくれます。「労働」はちゃんとやって、初めて「善」となる。立派な仕事をしようとする心があって初めて“よりすぐれた人物”になっていくのです。