1939年から1945年にわたって続いた第二次世界大戦は、日独伊三国同盟を中心とした枢軸国と、イギリス・アメリカ・ソビエト連邦などを中心とする連合国との戦争。歴史の教科書で習ったとおり勝利したのは連合国ですが、最終的に覇権を握ったのはアメリカとなりました。ドイツ在住のベストセラー作家・川口マーン惠美氏と青山学院大学教授・福井義高氏が、ヨーロッパに視点をおいて第二次大戦について話し合いました。
※本記事は、川口マーン惠美 / 福井義高:著『優しい日本人が気づかない残酷な世界の本音 -移民・難民で苦しむ欧州から、宇露戦争、ハマス奇襲まで-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
チャーチルも第二次大戦の敗者
福井:第二次大戦に至る国際情勢の大きな流れをまとめると、米ソの干渉を排除し、ヨーロッパの四大国である英仏独伊の協調を維持しようとするネビル・チェンバレン首相を中心とするイギリス「対独宥和(ゆうわ)派」、ヨーロッパからのアメリカ排除に対抗するため、欧州第五の国家であるポーランドを利用するルーズベルトのアメリカとドイツを叩き潰したいチャーチルを中心とするイギリス「対独強硬派」、そしてヨーロッパひいては全世界の共産化をもくろむスターリンのソ連、ということができます。
1925年にイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギーのあいだで結ばれた「ロカルノ条約」は、本来の意味での欧州宥和の象徴です。今日では、チェンバレンの宥和政策といえば、ヒトラーに対する屈服であり弱腰外交として、侮蔑的意味が込められていますが、本来は違います。
そもそも、宥和とは相手を宥(なだ)めるための手段ではなく目的であり、国際社会のあるべき状態を示すものです(Niedhart , Historische Zeitschrift 226巻1号)。「欧州全体を宥和する(appease)まで、貿易、ビジネスそして雇用を回復することはできないと信じている」という第一次大戦を勝利に導いたデビッド・ロイド・ジョージの言葉通りです。
ロカルノ条約は、基本的にベルサイユ条約を追認する内容ではありますが、英仏独伊の欧州四大国による集団安全保障体制として、欧州の問題はあくまで欧州内でというスタンスで、国際連盟の枠外で行われたことが重要です。大国間の協調で国際問題を処理するという、19世紀の「欧州協調」(Concert of Europe)の復活であり、本来の意味での「宥和」の始まりです。
イギリス国内には親独派も少なくありませんでした。たとえば、国の内外で人気のあった皇太子エドワードは、その親独姿勢を隠そうとしなかった。反対に、ドイツ国内には伝統保守派を中心に、ヒトラーの政権獲得後も、反ヒトラー勢力が影響力を持っていました。
こともあろうに、伝統保守派はイギリスの対独強硬派と組んでヒトラーを失脚させようとします。しかし、チャーチルなどのイギリス対独強硬派は反ヒトラーなのではなく、反ドイツだったのです。
ルーズベルトはイギリスの対独強硬派を支援して英独を離反させ、ポーランドを利用して、イギリスをドイツとの戦争に引きずり込んだともいえます。第二次大戦によって、すでに下り坂だった大英帝国はとどめを刺されました。チャーチルはルーズベルトを利用するつもりで、実際には利用されたわけです。
第二次大戦後、米ソの二極支配が確立し、アメリカのジュニア・パートナーに落ちぶれたイギリスは、ある意味、第二次大戦の敗者であるともいえます。
思惑が外れたソ連のスターリン
福井:では、スターリンのソ連はどうか。まず、スターリンはウラジーミル・レーニンの忠実な使徒であったということを忘れてはなりません。
レーニンは第一次大戦後の国際情勢を分析した結果、資本主義国家間に存在する三つの対立を徹底的に利用し、世界革命を実現する戦略を立てました。日本とアメリカの対立、アメリカと欧州大国の対立、そして、ドイツと戦勝国の対立です。
このような資本主義国家間の対立を煽り、互いに戦わせ、戦争で弱体化したところに最後の一撃を加えるのが、レーニンとスターリンのシナリオです。
スターリンは、このシナリオに沿って行動します。日米対立に関してはスターリンの完勝といってよいでしょう。日本を中国での泥沼の消耗戦に引きずり込み、日本の対外政策を反ソから反米英に向けさせることにも成功しました。
アメリカ国内でも、対日戦実現に向けたスターリンの工作が展開され、好都合なことにルーズベルトという「パートナー」の存在もあって、スターリンの思惑通り、日米は激突しました。
しかし、ヨーロッパではスターリンの思い通りに事態は進みませんでした。英仏とドイツの戦争を実現させたものの、フランスの予想しなかった早期敗北で計画が狂い始め、スターリンは最後の段階で、ヒトラーに対ソ先制攻撃を許す、という決定的失敗を犯してしまいます。
資本主義国同士を戦争で疲弊させたうえで、最後にとどめを刺すつもりだったのに、ソ連は対独戦の主役を引き受けなくてはならなくなり、第二次大戦参加国中、最大の犠牲を被る羽目になりました。
第二次大戦の真の勝者はアメリカです。他国に比べると圧倒的に少ない犠牲で、日独を打倒し、イギリスを追い落として、最大の覇権国となりました。この大戦で極度に疲弊したソ連は、米ソ二極支配とはいえ、最初から大きなハンデを負うこととなり、最終的に冷戦に敗れ、アメリカの一極支配が完成しました。
川口:これほど多くの利害が絡まった状況なのに、福井さんの分析は、胸がすくほど単純明快です。でも、こう見ていくと、日本は先の大戦で主役でなかったことがわかりますね。というか、アジア全体が脇役だったのでしょうか? 4年も戦い抜いてあれだけ大きな犠牲を出したことを考えると、なんだか複雑な気持ちになります。しかも、GHQの影響は、いまだに後遺症のように残っています。