テレビで見て面白いと感じたら劇場に来てほしい

――M-1を開催する際、芸歴制限について悩まれていたのだとか。

谷:初回はすごく悩みましたね。当時、12~13年目ぐらいで面白い芸人さんがたくさんいましたし、13年にしようとか、15年にしようとかね。でも、新人ですから10年が限界かなと。

――2015年から始まった第二期は、芸歴15年になりました。

谷:M-1はネタの新しさや発想の素晴らしい漫才をする「新人」を見出す大会です。でも、10年を超えるとテクニックが全然違うんですよ。テクニックで笑わせられる組と一緒に出るとなると、やっぱり若手は見劣りするんですよね。(決勝は)10組(敗者復活含む)という制限もあるので、才能が潰れてしまう可能性もあるわけで……。

10年までのときは、笑い飯をはじめ、荒削りで技術はないけど、発想が面白い漫才師が出てきました。そういう組が落とされるのは、15年にした弊害かもしれません。もちろん、現場の人間の考えもあると思うのですが、私は10年に戻すべきかなと思ってます。

――谷さんが取り組まれた「漫才復興」という意味では、M-1を見て劇場に足を運ぶお客さんが増えたので、成功したのではないかと思っています。創設者としては、どんなお気持ちなんですか?

谷:うれしいですよね。昔、笑福亭仁鶴さんに“テレビ”についてお聞きしたら「テレビというものは、芸人・タレントの全部を見せてしまうもの。視聴者はテレビを見て、その人間を見抜いてしまう。視聴者に“テレビで見るだけでいいや”と思われるようではアカン。“こいつはどんな人間なんやろう”と興味を持って、生で見てみたいと思うから、劇場に来てくれはるんや。そのために、テレビは必要なんや」とおっしゃっていたんです。

M-1も同じで、テレビで見て面白いと感じたら、その芸人たちを「生で見たい」につながると思うんですよ。そういう意味でも必要な大会だと思うんですよね。

――今年のM-1は、ユニット含めて8540組​​がエントリーしました。2001年の初回から長らくブームが続いていますし、優勝者は必ずスターになっています。喜びも大きいのではないでしょうか?

谷:それこそ一番に願っていたことです。短期間のブームで終わるのではなくて、高値安定で続いているのが、すごくうれしいですね。あと、漫才師の評価・地位が、すごく上がりましたよね。それまでは歌手や役者と比べて、芸人の地位は低かったんです。M-1を通じて芸人の地位が上がったことが、一番うれしかったことですね。

(取材:浜瀬 将樹)


プロフィール
 
谷 良一(たに・りょういち)
1956年、滋賀県生まれ。京都大学文学部卒業後、81年に吉本興業入社。横山やすし・西川きよし、笑福亭仁鶴、間寛平などのマネージャー、「なんばグランド花月」などの劇場プロデューサー・支配人、テレビ番組プロデューサーを経て、2001年漫才コンテスト「M-1グランプリ」を創設。10年まで同イベントのプロデューサーを務める。よしもとファンダンゴ社長、よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務、よしもとデベロップメンツ社長を経て、16年吉本興業ホールディングス取締役。20年退任。大阪文学学校で小説修業、あやめ池美術研究所で絵の修業を始めるかたわら、奈良市の公益社団法人ソーシャル・サイエンス・ラボで奈良の観光客誘致に携わる。23年、雑誌『お笑いファン』で谷河良一名義で小説家デビュー。X(旧Twitter):@taniryo1